群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

⑥証の原稿「最初の妻の話は、できればしたくありませんが、このように神様が用いられたという証しです。」


過ぎてみれば愛であった


(先妻)
大学を卒業して、証券会社に就職して、最初の妻に出会いました。
最初の頃、私は、やる気の無い社員でした。
しかし、社内恋愛によって、やる気を出さざるを得なくなりました。
その結果、営業成績が良くなりました。
学歴と英語力に加えて、営業成績のお陰で、私は海外留学生に選ばれました。
留学先のアメリカの大学で、私は、後に霊の親になる人に出会いました。
ですから、神様に導かれていたと思います。
最初の妻の話は、できればしたくありませんが、このように神様が用いられたという証しです。


(床屋)
帰国後、私は会社の近くの床屋を愛用していました。
すると、ある時、床屋のマスターが「病気の7割は、悪霊によるものだ」という話をしました。
私は「今まで考えたことは無かったが、霊界が無いとは言い切れないな」と思いました。
マスターが勧めた「大霊界」という本を読みました。
それ以降、私は宗教に関心を持つようになりました。
1985年頃、私は28歳頃でした。
同じ頃、霊の親は、路上で統一教会に伝道されたそうです。
これは、すなわち、御父様の荒野路程が終結した頃でした。


(霊の親)
それから4年後、私が留学していたアメリカの大学のフットボールチームが来日しました。
パーティーの会場で、私は霊の親になる友人に再会しました。
帰り際に、クロークでコートを受け取った後、友人は私を賛美しました。
私がクロークの人に、優しく接していたというのです。
私は、喜んで答えました。
自分は宗教を勉強していて、人格者になろうとしているんだ、と教えました。
友人は、伝道のチャンスをつかみました。
それなら、とても良い勉強があるので紹介しますよ、と言いました。
私は、楽しみにしている、と言って、別れました。
クロークでの小さなやりとりが、神様の導きだったと思います。



「呼び求める者は誰でも救われる」

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