「怨讐を愛せよ」 旧約聖書 亨進様の御言葉
1月13日の当ブログで、イエス様が選んだ「第一の戒め」の出典を引用しました。
今回は、「第二の戒め」の出典を引用します。
あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない
あなたは心に兄弟を憎んではならない。あなたの隣人をねんごろにいさめて、彼のゆえに罪を身に負ってはならない。
あなたはあだを返してはならない。あなたの民の人々に恨みをいだいてはならない。あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない。わたしは主である。
(レビ記/ 19章 17節~18節)
「慈善」や「奉仕」ではなく、「怨讐を愛せよ」という文脈の聖句だと知りました。
その人に手を貸して、これを起さなければならない
もし、あなたが敵の牛または、ろばの迷っているのに会う時は、必ずこれを彼の所に連れて行って、帰さなければならない。
もしあなたを憎む者のろばが、その荷物の下に倒れ伏しているのを見る時は、これを見捨てて置かないように気をつけ、必ずその人に手を貸して、これを起さなければならない。
(出エジプト記/ 23章 04節~05節)
これも、「怨讐を愛せよ」に近いものです。
興味深いのは、上記2か所の聖句が、両方とも、似たような聖句の後に来ることです。
さばきをするとき、不正を行ってはならない。貧しい者を片よってかばい、力ある者を曲げて助けてはならない。ただ正義をもって隣人をさばかなければならない。
民のうちを行き巡って、人の悪口を言いふらしてはならない。あなたの隣人の血にかかわる偽証をしてはならない。わたしは主である。
(レビ記/ 19章 15節~16節)
あなたは偽りのうわさを言いふらしてはならない。あなたは悪人と手を携えて、悪意のある証人になってはならない。
あなたは多数に従って悪をおこなってはならない。あなたは訴訟において、多数に従って片寄り、正義を曲げるような証言をしてはならない。
また貧しい人をその訴訟において、曲げてかばってはならない。
(出エジプト記/ 23章 01節~03節)
共通するのは「正義」です。
要するに、「怨讐」を相手にしても、自分は「正義」を守らなければならない、という文脈です。
「不正な攻撃」をしてはいけない、という文脈です。
「公正な裁き」に委ねなさい、という文脈です。
1月21日「王の報告」の御言葉に通じるものです。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
未熟な行動をする人々は、自己非難になります。誰も信用しなくなります。誰もが、彼らと関りたくなくなります。それは、彼ら自身の行動のためです。未熟さは決して良い結果を生み出すことはありません。他の人々は未熟な人々とは関らず、彼らは、自らの行為によって孤立していくのです。
これが、「自由と責任」時代の、「怨讐」に対する考え方です。
(お問い合わせ先:メール sanctuary.saitama@gmail.com
電話番号 堀勇一070-6670-5334 堀久子070-6637-7424 )
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