「真の神様との関わり」 モーセの例 「霊的なエリート」
天暦6月14日、陽暦7月17日、國進様の満46歳御誕生日をお祝い申し上げます。
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まず、昨日の当ブログから「素晴らしいみ言葉」を再度引用します。
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真の神様との関わりとは自己を再創造し、ときには痛みを伴う形で自己を成長させ強化する、そのようなものなのです。
そういう過程を通して神様はあなたが想像もしなかったような人間に作り上げて下さるのです。
私たちは自己の思いを滅却して、神様を受け入れなければなりません。
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次に、モーセより先に、ヤコブが同じ体験をしたことを確認しておきます。
原理講論344頁から引用します。
ヤコブが、ヤボク河で天使と命を懸けて闘い、勝利することによって、イスラエルという名を受けたのも(創三二・25~28)、このような試練を越えるためのものであった。
神は天使をサタンの立場に立てられ、ヤコブを試練されたのである。
しかし、これはあくまでも、ヤコブを不幸に陥れようとしたものではなく、彼が、天使に対する主管性を復帰する試練を越えるようにして、アベルの立場を確立させ、彼を家庭復帰完成者として立てられるためであった。
本題に入ります。
出エジプト記4章24節から26節を引用します。
さてモーセが途中で宿っている時、主は彼に会って彼を殺そうとした。
その時チッポラは火打ち石の小刀を取って、その男の子の前の皮を切り、それをモーセの足につけて言った、「あなたはまことに、わたしにとって血の花婿です」。
そこで、主はモーセをゆるされた。
この時「血の花婿です」とチッポラが言ったのは割礼のゆえである。
この時点は、モーセが神様から使命を与えられたばかりの時です。
それなのに、神様から殺されそうになりました。
原理講論344頁から引用します。
モーセも、イスラエルの民族を導いてカナンに入り、民族的カナン復帰完成者となるためには、神が彼を殺そうとする試練に、命を懸けて勝利しなければならなかったのであった(出エ四・24)。
もし、人間が、このような試練を神から受けないで、サタンから受けて、その試練に負けたときには、サタンに引かれていくようになるのである。
それゆえに、神の方から試練をするということは、どこまでも、神が人間を愛しているからであるということを、我々は知らなければならない。
このように御父様は悟ることができました。
お陰様で、私達も学ぶことができました。
しかし、モーセには理解できなかったと思います。
原理本体論には、別の理由も述べられています。
620頁から引用します。
モーセが神様のみ旨に従うことを決心した次の日、眠りから覚めると、神様が急にモーセを殺そうとします。
モーセが少しでも難しいことに出遭うと、常に神様に頼ろうとするので、神様はモーセが自ら行なったという基準を立てるために殺そうとしたのです。
将来、難しいことに出遭っても、神様に頼らずに自らの力で解決するという決意をさせたのです。
モーセが行こうとする道はとても難しい道です。
そのような難しいことに出遭うたびに神様に頼るならば、モーセは民を連れてカナンの地に入ることができません。
神様がモーセを殺そうとしたのは、モーセを愛しているからなのです。
これもモーセが理解したとは思えません。
「神様に頼らずに自らの力で解決するという決意」はできませんでした。
「律法的」「行義的」に神様に従いました。
イスラエル民族の不信仰と不平不満に対して、自らの「責任心情」が足りませんでした。
それゆえに、盤石を二度打ちすることになったと思います。
冒頭のみ言葉に戻ります。
「真の神様との関わりとは自己を再創造し、ときには痛みを伴う形で自己を成長させ強化する、そのようなものなのです。」
これを理解した私達は、まさに「霊的なエリート」です。
御父様と亨進様のお陰です。
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