素晴らしいみ言葉 7月10日の亨進様説教
「堕落性」を脱いで、「人格完成」する上で、また、「怨讐を愛する」「バラ色の人生」のために、素晴らしいみ言葉だと思いました。
「壁に貼る」と安心してしまうので、むしろ「パウチ」でもして、毎日訓読すべきだと思いました。
( )部分は省略しても良く、短縮するなら最後の**部分だけでもよいです。
「心を尽くし、思いを尽くして、あなたの主なる神を愛しなさい」と言われました。
それができるようになるためには自分の個人的な好き嫌いを乗り越えなければなりません。
(いつでも一緒にいてロマンチックに慰めたり励ましたりしてくれる神様を信仰したいというのならそれは神様ではありません、むしろ子犬を飼う方がいいでしょう。)
神様をそのまま受け入れなければなりません。
宇宙の創造者であり、あなたの人権の創造者です。
そのお方をありのまま受け止めなければならないというのです。
神様が物理法則、数学の定理などのすべての法則、宇宙の構造を創造されたのです。
神様が決めたことを人が変更することなどできないのです。
(現代には神を求めると言いながら「魔法のランプ」のような神を探しているひとがいます。それでは真実なる神様と関わるとは言えません。)
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真の神様との関わりとは自己を再創造し、ときには痛みを伴う形で自己を成長させ強化する、そのようなものなのです。
そういう過程を通して神様はあなたが想像もしなかったような人間に作り上げて下さるのです。
私たちは自己の思いを滅却して、神様を受け入れなければなりません。
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このような趣旨のみ言葉は、御母様が「六マリヤ」を乗り越えるべきだったことに関連しても、語られたことがあると記憶しています。
摂理史の重大問題に関連しているので、人類レベルで重要なみ言葉だと思います。
上記だけでは、ブログとして「芸が無い」ので、原理本体論からも引用します。
今日、私たちが生きていく中で、いかなる立場であっても、疑ったり、不平を言ったりしてはいけません。
人を憎んでもいけません。
自分ではよく分からないかもしれませんが、ある人を通して背後の先祖の過ちまでも蕩減することができるのです。
そうだとすれば、感謝する心で歩んでこそ、それが整理されます。
(427頁)
どんなに難しくても、そこには必ず理由があります。
私が責任を果たせば恨みの声は消えますが、責任を果たせなければ、結局、蕩減条件はそのまま残ります。
試練は試練としてぶつかりながら、蕩減条件も立てられなかったということになります。
ですから私たちは、困難があったとしても恨んではいけません。
ヨブのように生きなければならないのです。
ヨブ記の教訓は、万民が神様に帰るためには、罪がなくてもサタンの讒訴に勝利したという立場を通過しなければならないということです。
サタンに讒訴されず、サタンの公認を受けなければなりません。
したがって、神様の子女になる道は蕩減を払う道です。
形容できないような困難な立場にあっても、神様を恨んではならないのです。
(475頁)
「神様の子女になる道」ということについて、少し発展した次の部分も、この機会に引用します。
堕落した世界には、神様が入っていくすき間がありません。
人間の心の中に入っていくことができないので、神様も拠り所がありません。
人が動くこと、考えることの全体が、サタンを動機とするからです。
そのような事実を知らないことが堕落人間たちの問題です。
そのような事実を世の中に明らかにし、証明しなければならないのが、私たちがこの地で息をして生きている間にすべきことです。
それがいかなることよりも緊急な神様のみ旨です。
そのために生きることが、個性を完成した神様の子女になる道なのです。
(179頁)
私達だけでなく、まだ信仰の無い人達も、「神様の子女」にしなければなりません。
それをしなければならないので、自分のための蕩減でなくても、「蕩減を払う道」を行かなければならないということです。
それが「霊人体の完成」「愛の円熟」の道です。
冒頭のみ言葉の通り、「そういう過程を通して神様はあなたが想像もしなかったような人間に作り上げて下さるのです。」
アージュ!
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