から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
先に、サンクチュアリを連想する聖句です。
(イザヤ書 61:8-9)
主なるわたしは公平を愛し、強奪と邪悪を憎み、真実をもって彼らに報いを与え、彼らと、とこしえの契約を結ぶからである。彼らの子孫は、もろもろの国の中で知られ、彼らの子らは、もろもろの民の中に知られる。すべてこれを見る者はこれが主の祝福された民であることを認める。
「完成期の祝福」である「生命の書祝福式」の恩恵に、改めて感謝致します。
正反対に、全ての恩恵を失い、「呪い」を受けた、家庭連合を連想する聖句です。
(テサロニケ人への第二の手紙2:9-10)
不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。
「バビロンの淫婦」の出現は、まさにサタンの働きです。
偽りの「清平役事」は、継続されているのだと思います。
「御父様の御言葉に対する愛」を失って、韓鶴子を信じる人達は、滅びます。
しかし最後に、「救いの可能性」の聖句です。
(歴代志下7:14)
わたしの名をもってとなえられるわたしの民が、もしへりくだり、祈って、わたしの顔を求め、その悪い道を離れるならば、わたしは天から聞いて、その罪をゆるし、その地をいやす。