一昨日の記事で引用した、御父様の御言葉を再掲します。
(便宜上、「①~④」の番号を挿入しました。)
私がやらなければこのようになるということを感じなければなりません。そのようにしようとすれば、遠いところにいてはいけないのです。いつでも主体と対象の関係で接し、①見て、②聞いて、③食べて、④寝てという一切の生活は、すべて1人でするのではなく、主体と共に、主体の目的のためにする、ということを表面化させて感じなければなりません。
このようなことを感じるところで、天が共にあるところで新しい自覚をして世界に向かっていくとき、はじめてそこから天のみ旨が成し遂げられることを、皆さんが理解してくれることを願います。
(『文鮮明先生御言選集』 58-309~ 1972.6.25)
これは、下記と正反対です。
「神様が私の全ての祈りに答えを下さった。」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
で引用した、二代王様の御言葉を再掲します。
IQは、・・・それが何かと言えば、少し冷淡で知識で状況に勝とうとして、知識で他の人を利用しようとして、これはIQ的です。良い方にも行きますが、ビル・ゲイツ、ザッカーバーグ、(ジェフ)ベゾス(のように)、悪いサタン主義の方に行くこともあります。
何故なら、神様は必要ない。自分の知識で全てすることができると考えます。人は必要ない。冷淡に。これはIQを中心とした人の弱点です。
私は「IQ的」なので、御父様の御言葉を、もっと掘り下げたいと思います。
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
①見て
皆さんが考えるときは、いつも「天が主体だ」と考えなければなりません。「私の目の主体は天だ。だから、私が見るとき、一人で見るのではなく、主体のために見なければ」と考えなければならないというのです。
②聞いて ③食べて
それでは、主体と対象の関係で、このような因縁を間違いなく分かったとすれば、全幅的にすべてのものが主体のために生きるものにならなければなりません。見ることもそうであり、聞くこともそうであり、また食べることもそうです。ご飯を食べるときも、「ああ、美味しい、ああ、美味しい」、このように食べるのは、自分のために食べることですが、主体のために食べれば、「本当にありがたいことだ」となるのです。
④寝て
眠るのもそうです。「ああ、私が優れているからこのようにここで眠るのだ」、そうではないのです。「ああ、天が導き、滅びる運命で最後を迎えても恨みのない私が、きょうこのようになったのは、その滅びる運命を防ぐために天が何度も苦労した功があるからだ。本当に感謝だ」、そのように考えなければなりません。
不平があり得ない
ですから、主体のための対象の立場は、不平があり得ないのです。不平があり得ますか? 不平は妄動です。破綻です。ですから、信仰の道は不平を許さないというのです。何を許さないのですか? 何ですか? 不平を許さないというのです。ですから、感謝だけがなければなりません。皆さんはそれを知らなければなりません。