クリスチャンと分かち合いたい聖句 1年ぶりに2回目
1回目は、昨年12月22日の当ブログでした。
そこから引用します。
3.再臨の時には、神の国ができるはずです。
私達、クリスチャンは、再臨主と共に、地上で戦うことになっているのではないでしょうか?
(アメリカで、トランプ次期大統領と共に、神の国を推進する運動があります。)
これについて、直接話し合ったわけではありませんが、地元のプロテスタント教会と、選挙の話をした時に分かりました。
6月18日のブログから引用します。
「トランプ応援」以前に、「政治」について、既成教会は、「関わらない」ということでした。
亨進様が語られる通り、「神の王国」について、残念ながら認識不足です。
ちなみに、トランプに対しても批判的でした。
「クリスチャン」の仲間だとも思っていませんでした。
そして、政治に関わらない理由は、やはり「空中再臨説」のようです。
その観点から、今回の聖句を選びました。
聖句の前に、<獣が海から上って来る―10月15日礼拝説教「七年患難の後半」(その1)>から引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
本物の怪物が海からやってくると考えているクリスチャンは一人もいません。そのように考えている人は一人もいません。トップレベルの解釈者から学術界、普通の人に至るまで、本物の獣がやって来ると考えている人はいないのです。
それなのに、「空中再臨」にこだわるのが不思議です。
<いよいよその時が来た―10月8日礼拝説教「王国の王冠」(その6:完結)>から引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
全キリスト教徒がイエスの再臨、イェシュア(当時の古代アラム語の発音)の再臨を待っています。
「イエス様はカトリックが描く絵のような姿で来られるに違いない。白人で青い目でひげを伸ばして、名前はイエスできっと見たら分かる筈だ、たとえ最初反対してもイエスだと名乗って下さる・・・一目でわかるだろう。」
おっと、ところが、「・・・天とわたしの神のみもとから下ってくる新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう。」イエス様が新しい名前で来ると知っていましたか。
イエス様が新しい名をもつ。人がわれわれを狂っていると言いますが、ただ聖書を読んでいるだけです。
原理講論に無い、新しい論点です。
この「新しい名」(黙示録3.12)も、問題提起に使えます。
ここで、「聖句伝道」に関して、前置きしておきます。
使徒行伝/ 08章 30節と31節
そこでピリポが駆けて行くと、預言者イザヤの書を読んでいるその人の声が聞えたので、「あなたは、読んでいることが、おわかりですか」と尋ねた。
彼は「だれかが、手びきをしてくれなければ、どうしてわかりましょう」と答えた。そして、馬車に乗って一緒にすわるようにと、ピリポにすすめた。
使徒行伝/ 08章 35節
そこでピリポは口を開き、この聖句から説き起して、イエスのことを宣べ伝えた。
本題に入ります。
マタイによる福音書/ 11章 11節から14節
あなたがたによく言っておく。女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起らなかった。しかし、天国で最も小さい者も、彼よりは大きい。
バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。
すべての預言者と律法とが預言したのは、ヨハネの時までである。
そして、もしあなたがたが受けいれることを望めば、この人こそは、きたるべきエリヤなのである。
原理講論でも引用されています。
「洗礼ヨハネの失敗」の話もありますが、まずは「エリヤの再臨方法」です。
ルカによる福音書/ 17章 20節から25節
神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。
また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。
それから弟子たちに言われた、「あなたがたは、人の子の日を一日でも見たいと願っても見ることができない時が来るであろう。
人々はあなたがたに、『見よ、あそこに』『見よ、ここに』と言うだろう。しかし、そちらへ行くな、彼らのあとを追うな。
いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。
しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。
ここも原理講論で引用されています。
「偽メシヤ」には注意しなければなりません。
しかし、「いなずま」のような「栄光」「実績」が「あかし」になります。
とにかく「空中再臨」ではありません。
ヨハネによる福音書/ 06章 41節と42節
ユダヤ人らは、イエスが「わたしは天から下ってきたパンである」と言われたので、イエスについてつぶやき始めた。
そして言った、「これはヨセフの子イエスではないか。わたしたちはその父母を知っているではないか。わたしは天から下ってきたと、どうして今いうのか」。
これは原理講論には無いと思います。
クリスチャンが、同じ間違いを犯さないように、理解してもらえることを願います。
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