「彼(キリスト)は地球上における私(神)なんだ。」
から引用させて(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
彼(キリスト)は地球上における私(神)なんだ。
私の息子が来るからだ。彼は私の生きた神殿を持っている。彼は生きている。彼はデジタル世界の地球で、ビデオゲームに登場する私の生きたキャラクターなのだ。そう、比喩的に言えば、彼(キリスト)は地球上における私(神)なんだ。だから、彼を愛さなければならない。彼と関係を持たなければならない。
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
人類は日常生活の中で神様の実体を認知して生きるようになったでしよう。
このように神様の実体対象として創造した一番目の男性格がアダムであり、女性格の代表がエバです。ところで神様がこのように人間を1男1女に分立して創造された所は目的があります。
第1に、二性性相の中和的主体として自存されながらも無形でおられる神様は実体世界を相対とするところ必要な体を着るためでした。男性の体だけでもなく、アダムとエバ二人の体を着て実体世界と自由自在に交通し作用するためだったのです。体を着ない無形の神様としてだけは有形実体世界を相対とするのに限界があるためです。』これが重要な問題です。
『したがってアダムとエバが心の中に神様に侍って一体になって完成した基盤の上に結婚をし子女を産んで家庭をなしたとすれば、アダムとエバは外的であり横的な実体の真の父母になって、神様は内的であり縦的な実体の真の父母になったでしよう。このようにだけなったとすればアダムとエバは内外両面から100%神様を立体的に似た立場に立つようになったでしよう。このように神様に完全に似たアダムとエバが人類の真の父母になったとすれば彼らの姿を通して人類は日常生活の中で神様の実体を認知して生きるようになったでしよう。
第2には、愛の完成のためです。アダムとエバが完成して完全一体をなした愛の実体になればその上に神様が臨在し人類の真の愛の父母になろうとすることにあったのです。神様の形状的な実体父母の立場に立つようになるアダムとエバが実体の子女を繁殖することによって理想家庭、理想世界をなすことができたでしよう。そのようになれば人間を通して霊界と地上界を連結する目的を置いて人間を創造されたという結論を下すことができます。』一度考えてみなさい。