群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

「神が道徳的に決めることと、私たちが道徳的に決めることに、目に見える違いがほとんどなくなるまで、私たちはどんどんどんどん近づいていく。」

昨日の記事と関連性(キリストと他の人間との対比)があります。


宗教を超えた関係(3)〔2023年11月26日 英語礼拝〕 | kijoksoriのブログ

から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)


神が道徳的に決めることと、私たちが道徳的に決めることに、目に見える違いがほとんどなくなるまで、私たちはどんどんどんどん近づいていく。

先日、国進兄さんが統計学と高度な数学、そして、1/xの運動について話していました。xの値が大きくなるにつれて、分数1/xの値は小さくなっていく。だんだんと、そして無限にゼロに近づいていくが、決してゼロにはならない。

このように、私たちは訓練を積むにつれて神に近づいていくが、決して神にはなれない。

それにもかかわらず、神が道徳的に決めることと、私たちが道徳的に決めることに、目に見える違いがほとんどなくなるまで、私たちはどんどんどんどん近づいていく。


御言葉の趣旨から外れますが、「アキレスと亀」を思い出しました。
「アキレスと亀」を検索した結果、次を読みました。

0~1で構成された数直線に向かってダーツを投げるとする。このとき、中間地点である0.5という点にダーツが刺さる可能性はいくらか?

このとき、数学的に0~1の間に点は無数にあるので、


求めたい場合の数÷起こりうる場合の数    =    1÷∞    =    0


となります。つまり確率は0。

0.5には絶対に刺さらないという結果になります。

しかし、それはおかしい。なぜなら実際0.5に刺さることもあるからです。

ということは数学的には0と答えがでたことが現実では起こる。

確率論でこのような問題は、区間で考えます。点ではなく、そこにわずかでも幅があれば、そこに刺さる確率を計算することができるからです。

2つの赤字は、食い違っています。
食い違いが起きる理由について、参考は次です。

9.9999999…は9がいくつ続こうと、やっぱり10ではない気がしてならないのです。小数点以下の9が無限個あるとしても、やはり10ではない。実はこの話は、数学者たちを悩ませてきた、無限小や無限大の問題に関わってきています。


2つの赤字は、次の象徴だと思います。

人間の罪は0にはならない

人間の道徳と神の道徳が一致する確率は0

青字は、両方に対する(数学的な)希望です。



「神はゴリアテよりもはるかに大きいのです。」

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