「驕慢であれば、テガリ(대가리:頭)をあげれば死ぬのだ。」
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
謙遜すれば生きるのだ。
皆さんが鼻をつかんでするようになればどこに息が出るのかと言えば耳からも出るが目からカチンとカチンと先にです。一度してみなさい。力の限り息を吸い込みなさい。息を吸い込む時こうなのか?こうで大概後ろにへこまなければならない。息を吸えなければ逝くのだ。危険千万な生命としてつくったが、その発動機が故障していないためにこれがフィーンこのようにして‘オ!’という時は下りて行く?これが何か?死んだ!驕慢であれば、テガリ(대가리:頭)をあげれば死ぬのだ。謙遜すれば生きるのだ。死んだ、生きた!
宗教の道理も驕慢な人は死ぬ。息を吸えない。息をつく。謙遜でなければ息を吸い込むことができない。謙遜すれば息を吸い込むのだ。もっと空ければ吸い込む。そうじゃないか?一つの自体が宗教とか何とか哲学とか、生命の根源のすべての全部が息を吸って吐くことと異なったものではない。運動することも同様で、天地が、宗教も同様だ。謙遜しなければならない。
主題について、付け加えるコメントは、ありません。
赤字について、余談ですが、下記があります。
さらに余談ですが、体操しながら、老化した体をしみじみ感じることによって、むしろ、体を下さった神様を思い出し、感謝する最近です。
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たまたま今日、家内が聖書を訓読していた箇所です。
マタイによる福音書/ 11章 28~30節
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)真のお父様に帰ろう!サンクチュアリ教会『三代王権天一聖殿』: 組織的背信者、イスカリオテのユダ家庭連合 ◆2023年11月19日 真父光宮(日本天正宮) 日曜礼拝<4> 文亨進二代王
だから、自分が10年の間、お父様を罵ってお父様を背信したのに、自分が戻ってきながら何もなかったかのように、自分の位置を全て望む。これは傲慢です。
去って行ったモルモン教会の「宣教師」と比べて、からんでくれる家庭連合のブロガーに、親しみを感じるようになりました。
「私の血は、私があなたに信頼され、愛されていることの証明なのです。」