「原理本体論」 「絶対性」 思い出
日本サンクチュアリ協会の東京合同礼拝で、「原理本体論」を購入して以来、時間があれば読んでいます。
「原理本体論教育」は2010年に一度参加しました。
御父様のお姿を、お近くで拝見する最後となりました。
(2012年に、御父様が最後の力をふりしぼって、祝福して下さった会場では、一番後方の座席でした。)
ガラケーによる撮影に気を取られ、自分の目にお姿を焼き付けなかったことを悔やんでいます。
悔やむと言えば、家内は、16万人女性修練会で、次のような後悔があります。
後ろの方に座っていましたが、付き添っていた人の具合を心配して、水を運んできました。
その時、ちょうど後ろの方に来られていた御父様と、目が合ってしまいました。
御父様も水が飲みたいと感じましたが、差し上げるのはおそれ多く、御付きの人の責任分担だと考え、心で許しを請いながら、連れの人に飲ませました。
しかし、今も後悔しています。
そこで我が家の祭壇には、水もお供えしています。
さて、「本体論」の核心の一つは、私達が「絶対性の実体」すなわち「神様の生殖器の実体」であるということです。
最近の亨進様の説教でも語られていた通りです。
これに関連して、私は次のような思い出があります。
統一教会に導かれて、それほど年月が経っていない頃です。
しかし、宗教嫌いの父親とは対立が始まっていました。
私は父親を愛する気持ちでこう言いました。
「私は、お父さんを尊敬しています。
何しろ私は、お父さんの生殖器から生まれたのですから」
それを聞いて父は怒りました。
侮辱されたと思ったのでしょう。
「生殖器」は悪いものだと思っているからです。
私は既に「生殖器」の尊さを信じ切っていました。
また、親子関係の親密さを、最高に表現できる言葉だと思いました。
Picardさんにアドバイスされなければ、「イエス様の出生の秘密」を既に牧師に話していた私です。
「率直」を通り越した「愚直」は、慎むべき時もあります。
話を戻せば、私達は「神様の生殖器の実体」です。
何と神聖な存在でしょうか。
そう思って、また、夫婦の愛を深めたいと思います。
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