ブログ「三大王権・真の御父様に帰ろう!」の「2015年5月24日『天の秩序』The Standard of Heaven 全訳版 亨進様」から引用させて頂きます。
> 最後の日、その時が来れば、初めのものは後になり、後のものが先になります。
>全ての栄光をうけた者達が後になります。
>なぜなら彼らが信じてきたものが最後の時に現われるからです。
「栄光をうけた者達」とはメシヤの近くにいた幹部達です。
「彼らが信じてきたもの」は何でしょうか?
生前、目の前にいた時の御父様でしょうか?
今、霊界にいる御父様を、まだ信じているでしょうか?
今、目の前にいる御母様でしょうか?
やがて聖和されたら、どうするのでしょうか?
それとも、やはり、地位とお金でしょうか?
ブログ「三大王権・真の御父様に帰ろう!」の「8月全国会議 サンクチャリ教会対策 2時間講義 レジュメ」では、いくつかの聖句が引用されています。
>「人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない」(マタイ12・31-32)
まさか、これをもってして、御父様に逆らい、御母様に従おうとしているのでしょうか?
「聖霊」とは、「人の子」に従うものなのに。
今や霊界で「神霊」となった御父様には、生前以上に従うべきなのに。
>「いったん、光を受けて天よりの賜物を味わい、聖霊にあずかる者となり、また、神の良きみ言葉と、きたるべき世の力とを味わった者たちが、そののち堕落した場合には、またもや神の御子を、自ら十字架につけて、さらしものにするわけであるから、ふたたび悔改めにたち帰ることは不可能である」(ヘブル6・4-6)
この聖句は、御父様に逆らう者にも向けられているとは思わないのでしょうか?
原理講論の601頁から引用します。
>祭司長や律法学者たちは、神の選民を指導すべき使命を担っているのであるから、メシヤが来られたということをだれよりも先に知り、率先してその選民を、メシヤの前に導かなければならなかったはずである。
後継者が決まったということは、だれもが知っていました。
選民は、後継者の前に、既に集い、慕っていました。
その後継者を、いつの間にか、すり替えてしまいました。
国歌をすり替えたように。
経典をすり替えたように。
そのようなサタンは、「ふたたび悔改めにたち帰ることは不可能である」と言わざるを得ません。