まさに「世界的危機」で、「暗い御言葉」が心に沁みます。
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
相対的な内容が及ばないようになれば自分の存在の位置はない
天の国にいるのは愛の波と愛の動きに動ずれば動じ静かであれば静かでありうる世界であるために、そこにそのような動機の内容と相対的な内容が及ばないようになれば自分の存在の位置はないというのだ。それは消えてしまわなければならないのだ。大きいと考えるが消えて見えない無価値な存在に落ちて行くのだ。
環境与件が自分よりも強い時は私はそこでなくなる
蜘蛛の糸にハエがかかって解放も繰り広げられるが、くっついた環境与件が自分よりも強い時は私はそこでなくなるのだ。それが自然理知だ。自分が環境において勝利的な覇権をもって指導できる主体圏がない限り環境が異なる時はなくなってしまうのだ。
しかし、「励まし」または「慰め」の御言葉は下記です。
かつて群馬で、御父様の御言葉 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
で引用した御言葉を再掲します。
自分が生きるというよりも世界を生かさなければならない目的を持っている
人間は自分が生きるというよりも世界を生かさなければならない目的を持っている。 それで自分の目的を犠牲にしても世界に対しての善の目的に犠牲になって吸収されれば世界においての大なる善がなされるという点においては自分がプラスなる価値圏に立ったことになる。 だからマイナスには絶対ならない!
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
私たちが皆死んでも、神の王国が来たら、それは世界の福です
このような混乱と苦難の呪い、審判の時代に、私たちが生き残る祈りではなく、神様のみ旨と王国が実現されるように祈祷しなければならない。私たちが皆死んでも、神の王国が来たら、それは世界の福です。