から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
自分の行使した自由に対しては、責任を負う
自由とは、神様が人間に賦与した最も大切な贈り物のうちの一つです。人間は創造されるときに、自由意思を与えられました。そして、自分の行使した自由に対しては、責任を負うように創造されました。正しい自由の意志行使に当たっては、正否に関する根本的な理解に基づく修養と節制が求められます。正否に関する定義を下す必要に迫られたとき、他人を害さなければ、いかなるものも許されるという回答をしばしば耳にします。しかし、明らかなのは、何が害することなのかを決定するための絶対的基準がそこに求められるということです。
言動によっては、「共産主義者」とか「スパイ」とか呼ばれることを、覚悟しなければなりません。
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
共産主義の虚構性とその戦略を暴露し、その共産主義の脅威を自由世界に悟らせる
第2次世界大戦が終わったのち、人類が体験してきた過去半世紀は、言論の役割と責任を最も切実に覚醒させてくれる時期でした。この時期において言論に与えられた最初の使命は、共産主義の虚構性とその戦略を暴露し、その共産主義の脅威を自由世界に悟らせることでした。しかし、かえって大部分の言論自体が、この時期に非常にリベラルな視角をもつことによって、混沌たる状態になってしまったのです。
共産主義は人類を害するものだと決定する基準があれば、それは許されないことが分かります。