群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

「自分の行使した自由に対しては、責任を負う」


から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)


自分の行使した自由に対しては、責任を負う

 自由とは、神様が人間に賦与した最も大切な贈り物のうちの一つです。人間は創造されるときに、自由意思を与えられました。そして、自分の行使した自由に対しては、責任を負うように創造されました。正しい自由の意志行使に当たっては、正否に関する根本的な理解に基づく修養と節制が求められます。正否に関する定義を下す必要に迫られたとき、他人を害さなければ、いかなるものも許されるという回答をしばしば耳にします。しかし、明らかなのは、何が害することなのかを決定するための絶対的基準がそこに求められるということです。

言動によっては、「共産主義者」とか「スパイ」とか呼ばれることを、覚悟しなければなりません。



から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)


共産主義の虚構性とその戦略を暴露し、その共産主義の脅威を自由世界に悟らせる

 第2次世界大戦が終わったのち、人類が体験してきた過去半世紀は、言論の役割と責任を最も切実に覚醒させてくれる時期でした。この時期において言論に与えられた最初の使命は、共産主義の虚構性とその戦略を暴露し、その共産主義の脅威を自由世界に悟らせることでした。しかし、かえって大部分の言論自体が、この時期に非常にリベラルな視角をもつことによって、混沌たる状態になってしまったのです。


共産主義は人類を害するものだと決定する基準があればそれは許されないことが分かります。

「全世界の隅々で自由の鐘が鳴り響くようにしなければなりません。」


から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)

 そうだとすれば、私たちの目的は反共ではなく、共産世界の解放です。1976年、私たちはワシントン・モニュメント広場において、30万人のアメリカ人を集めた大会を開きました。これは、私がアメリカで行った大衆演説の絶頂でした。


 そして、正にその翌日、私はそのような形態の集会を、次はモスクワで開催すると公表しました。この解放運動の原動力は、憎悪ではなく、正に真の愛なのです。私たちはすべての人間が自由を勝ち取れるように努力しなければなりません。そして、全世界の隅々で自由の鐘が鳴り響くようにしなければなりません。


Chimes of Freedom -Bob Dylan & Joan Baez-SOS Venezuela-Lyrics (Letra)


自由の鐘

日没の果てと

真夜中の途切れた鐘の隙間

戸口の内側で凄まじい雷鳴に首をすくめる

荘厳な稲妻の鐘は響きの影を打つ

まるで自由の鐘が煌めいているように


煌めいている

争わぬ強さを持つ戦士のために

煌めいている

武器もなく逃げ出した路上の難民のために

そしてあらゆる夜の負け犬の兵士のために

そして僕らは煌めく自由の鐘を見つめた


街中の溶けた炉の中で

思いがけず見つけた

顔を隠して硬直しつつある壁を

豪雨の前のウェディングベルの反響

稲妻の鐘に溶けゆく時に


鳴っている

反逆者のために

鳴っている

放蕩者のために

鳴っている

運に見放され見捨てられた者のために

鳴っている

火炙りにされ続ける追放者のために

そして僕らは煌めく自由の鐘を見つめた


星のような目で笑っていた

僕らが掴んだ時を思い出すように

宙に浮いたままの時間の軌跡ともつかない罠に囚われて

最後にもう一度聴き入っていた

最後にもう一度見入っていた

魔法にかけられて飲み込まれて

鐘が鳴り終わるまで


鳴っていた

癒されることなく傷ついた者のため

数えられないほどの

混乱し非難され虐待され騙されて

最悪に追い込まれた者たちのため

全世界のひとりひとりの心折れた者のために

そして僕らは煌めく自由の鐘を見つめた

「言論は、自由を守護し、不義と闘う最前線に立たなければなりません。」


から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)

「ペンは剣より強し」という格言が、重要な意味をもつようになりました。

言論の絶大な力は、開かれた自由社会の正義を擁護するために、大きな責任を有しているのです。

「自由言論」は「責任言論」でなければならないと確信する者です。

そして、「責任言論」は、すなわち「道徳言論」でなければならないと信じています。

言論は、自由を守護し、不義と闘う最前線に立たなければなりません。


取材依頼に対して、使いたい御言葉だと思いました。

私達がメシヤであると信じている文鮮明師が、「世界言論人会議」というイベントで語ったメッセージの抜粋を紹介させて頂きます。

****

(御言葉)

****

「自由を守護し、不義と闘う」という目的を共有して下さるのであれば、取材をお受けしたいと思います。