「子どもたちが私たちから離れられるように助ける」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
から引用します。
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子どもたちが私の言うことを聞いていれば間違いないと知っていてなお、わざわざ間違えさせたり、自分の失敗で苦しませたりするなどということは、なかなかできないものです。
「自由と責任」の重要性と同時に、それを見守る「神様の心情」を考えさせられました。
私たち人間は他人の世話になる立場に置かれると、ありがたいという気持ちよりも、無力感、自己嫌悪、いらだち、欲求不満、そして反感といった感情を経験するものなのです。
自分自身は違うのではないかと思い、依存心が強いのかも知れないと反省します。
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右の本の第4章から引用します。
もはや必要とされないことの痛みと虚しさ
私にはわかりました。自分の子どもたちの発達を誇りに思う気持ちと、子どもたちが自立していくことの喜びに反して、もはや必要とされないことの痛みと虚しさもまた、あるのだということが。
私たち親が旅するのは苦くて甘い道なのです。それは、一人の小さくて無力な人への完全な献身から始まりました。何年にもわたって、私たちは心配したり、計画を練ったり、 理解しようと努めたりしています。
私たちは、子どもたちに私たちの愛と労働と知識と経験を与えます。 いつか子どもが、私たちから離れていく強さと自信を、心の内にもてるように。
「神様の心情」の中に、「もはや必要とされないことの痛みと虚しさ」があるかどうか分かりません。
あるとしたら、「母性的」な「女性性相」だと思います。
「一人の小さくて無力な人への完全な献身」は、間違いなくあると思います。
「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」は神様自身が始めたと、御言葉で学んでいます。
そのことを改めて考えさせられて、「依存心が強いのかも知れない」私は感動しました。