群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

もう一度「神様の栄光のために」

先に、過去記事は次です。


キングスリポート11月2日から引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)


1.小さなことでも すべてのことで 

私たちの生活の中のすべてのものは、私たちの能力で成り立つものではなく、神の能力で成り立ったものです。

私たちがそれを本当に知っているのなら、私たちが成し遂げたすべてのことは、神様の栄光に返さなければならないということなのです。

うちの子供たちがレスリングの試合に出て勝利すれば、私はいつもその栄光を神様に返せと言いました。

今度、私たちの聖殿に女の子が小さな柔術の試合で勝ったという話を聞きましたが、その試合がいくら小さくても神様に栄光を返すことをいつもしなければならないということです。


2.勤勉になるために

一個人の栄光のために訓練をするのではなく、神様に栄光をさし上げ、喜びを取り戻すために我々が訓練をすると思うなら、私たちは疲れず、その訓練自体が楽しみになる、ということです。

怠惰で延びた神様の子供ではなく、目が覚めていて準備している子供たちという事実です。


3.恥をかいても 前に進むために

柔術ブルーのベルトになると、たくさんの白いベルトの獲物になる現象が起こります。

そうするうちに白いベルトとの対練で負けてしまえば、その青いベルトの"見栄"が、完全に粉々に砕けるのを目にします。

ですが、そういうときにも"違う。 私は自分の栄光のために戦うのではない。 また起きよう。 神様に喜びをお返ししよう"と思いながら払い飛ばして前に進むということなのです。


4.サタンのわなを避けるために

誰かに褒められたら、"すべての栄光を主に"と言うべきです。

人の褒め言葉を自分が食べるのではなく、すべての栄光を神様や神様に捧げれば、私たちは本当に強くなります。

私たちの"見栄"は、サタンが使うわなと同じです。

訓練をする聖殿勇士は、神様にすべての栄光を捧げる人生は、いつどこでも必ず記憶しなければなりません。

アーメン アジュー


私の家の中に、「神様の栄光のために」の貼り紙を、増やすべきかも知れません。



(お問い合わせ先:メール sanctuary.saitama@gmail.com
         電話番号 堀勇一070-6670-5334 堀久子070-6637-7424 )


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