「自由と責任」で父の「奴隷」となろうとする実子
2018年7月21日の当ブログの一部を再掲します。
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2016年2月14日、「後のものが先になり、先のものが後になる」預言成就の日、二代王様と共に歌った感動を忘れません。
I’m no longer a slave to fear(もはや怖れる奴隷ではない)
I am a child of God(私は神の子供)
大きな「意識転換」が必要でした。
「サタン世界」でも、家庭連合でも、「奴隷」だったからです。
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2017年1月23日の当ブログの一部を引用します。
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御父様の御言葉のキーワードは、「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」ではないでしょうか?
亨進様の御言葉のキーワードは、言うまでもなく「自由と責任」だと思います。
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2016年9月4日の当ブログの一部を引用します。
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御父様は神様のため、亨進様は御父様のため、妍雅様は亨進様のため、「自己否定」が可能になりました。
「ために生きる」ことは、私達皆の「自由と責任」です。
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2016年4月9日の当ブログの一部を引用します。
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4月7日の当ブログ「また『霊的なエリート』 別の意味で」から引用します。
「自分の思いは罪だ」と私達は教育されてきたと思います。
そのようにして「奴隷」になっていた者が、サンクチュアリ教会に来ることができたのは、神様の恩恵です。
「父母の心情 しもべの体」
「絶対信仰 絶対愛 絶対服従」
うろ覚えですが、「真の愛で奴隷になりなさい」というような御父様のみ言葉もありました。
紙一重のような違いです。
「組織」の奴隷になってはいけないということです。
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祈祷日記、訓練日記が家宝になる<第二編>18年12月5日 韓国語説教 文亨進二代王 から引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
ではその実子が、父が買った奴隷よりもっと忠臣である。忠誠の心がある。その実子が父が買った奴隷より父にもっと喜ばせたい思いがあるなら、その実子が父の奴隷となろうとする心があるのなら、それよりもっと喜ぶ父がどこにいるだろうか?そう?そうでない?
どうして? 実子だから父の奴隷になる必要はないではないか実際。そうではないか?、あってるか?あってないか?、あっているか?あってないか?
しかし、父を愛するがゆえに、自分が実子であっても父の奴隷になるという愛。それは父を感動させるだろう。そう?そうでない?
これがまさにアベル的王家の精神である。父の実子であっても父の奴隷になるという愛の心。父が願い、望む全てのことをして差し上げたい心、ただ父の喜びのためだけに生きたいと願う心。そう?そうでない?君たちもこのような訓練を受ける中で、王家の精神が必要である。王家。王家の精神。
長年考えてきた、御父様の御言葉と二代王様の御言葉の「整合性」が、すっきり解決できる御言葉でした。
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