永田先生の冊子「デバイン・プリンシプルへの招待」で「アベル・カイン」を再考しました
1.和解と協力
神の救いの摂理を成就し、人の霊魂を救い、世界に平和をつくり出すカギは、アベル・カインの和解と協力だということです。(60頁)
永田先生が企画・編集している「サンクチュアリ通信」のスローガンも「融和と発展」です。
日本サンクチュアリ協会の「改革案作成委員会」委員長 を、頼まれて引き受けられた時も、同様な動機だったと思います。
それなのに、反対する人からの「非難」を一身に受けられる場面もあったようです。
神から愛される一方、犠牲になる危険な運命も負ったのです。これはアベル的人物の宿命です。(51頁)
まさに永田先生も同じだったと思います。
(それは、組織の中心、江利川会長ご自身を象徴していたと思います。)
2.差別とえこひいき
これは人間的にみたら、明らかなカインに対する差別であり、アベルに対するえこひいきです。(44頁)
実感しやすい表現だと思いました。
この問題はキリスト教神学でも解明できない謎です。(44頁)
なるほど、「クリスチャン伝道」に役立つ、と思いました。
3.イエス様と洗礼ヨハネ
神は、人類を救う栄光の主・メシヤをこんなにみじめな人としておくりました。
反対に、そのメシヤに従うべき弟子、証し人をこんなに輝ける人としておくったのです。(57頁)
上記2との組み合わせで、考えさせられました。
この段階では、まるでイエス様が「差別」された「カイン」であり、洗礼ヨハネが「えこひいき」された「アベル」であるかのようです。
水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、<霊が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である>とわたしに言われた。(58頁)
結局、洗礼ヨハネ自身が、イエス様は「えこひいき」された「輝ける人」であり、自分は「差別」された「みじめな人」だと悟ったようです。
(そして、それを受け入れられずに、失敗しました。)
4.私の仮説「アベル・カインの分かれ道」
自分が「えこひいき」された「輝ける人」だと感じる人は、「アベル」です。
(「自己崇拝」でなく、「謙遜」「感謝」する人です。)
その人は、「父母の心情・僕の体で、カインを自然屈服する」アベルの正道を歩まなければなりません。
自分が「差別」された「みじめな人」だと感じる人は、「カイン」です。
(「自己憐憫」、すなわち「自己崇拝」する人です。)
その人は、「堕落性を脱ぎ、アベルと一つになる」努力をしなければなりません。
その結果として、「和解と協力」が実現します。
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(蛇足)
この世の「スーパーエリート」も、イエス様への「嫉妬心」を持っています。
それが「キリスト教」を迫害する理由です。
しかし、「霊的なエリート」である洗礼ヨハネとは違って、「キリスト教は、世界最大の宗教になり、信者は23億人」(36頁)という「外的な栄光」への「嫉妬心」だと思います。
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