「クリスチャンの歴史の中で初めて目にします」
最高にアメリカ的な教会-11月18日英語説教(その1)から引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
我々の仲間に加わっていなくても支持する人がいるのは、彼らには我々が向かおうとしている主権と本当の人権を持つ王国が見えるからです。そこでは政府が人々に税金を掛けることができず、政府が主人として支配できません。政府の官僚は僕であって主人として支配できないのです。
彼らはそういう方向に向かう運動を、またそれが起こっているのをクリスチャンの歴史の中で初めて目にします。
イエス様の「霊的救援」は「キリスト教」という宗教であり、再臨主の「肉的救援」は「神の王国」という政治経済です。
(「血統転換」の話を保留しています。)
次のコメントに行きましょう。
「これは新しい建国の父のようだ!」
アメリカ建国は、「宗教」と「政治経済」がそろっていましたが、再臨主がまだでした。
再臨主は「同時性」の問題もありますが、結果的には、キリスト教国家であるアメリカが世界の覇権を持つタイミングが必要でした。
8月30日の当ブログ等で、繰り返し引用した國進様の御言葉を再掲します。
キリスト教がお父様を見捨てた後、荒野路程を行かなければならない宗教組織として軍隊のような組織にならざるを得ませんでした。
御父様は韓国の「キリスト教」を失うと同時に、世界的なアメリカの「政治経済」も失いました。
「軍隊のような」家庭連合は、結局、「神の王国」を作れず、摂理はアメリカの「キリスト教」に移りました。
結果的に、再臨主の指導によって、「キリスト教」が「政治経済」すなわち「神の王国」に向かう運動は、今回が初めてです。
すなわち、「クリスチャンの歴史の中で初めて目にします」ということです。
以上は、「再臨主の使命」について、「クリスチャンとの議論」の参考になります。
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(付録)
上記で、次のことを書きました。
再臨主は「同時性」の問題もありますが、結果的には、キリスト教国家であるアメリカが世界の覇権を持つタイミングが必要でした。
これで思い出すことは、「キリスト教王国時代」も同じようなタイミングだったのか(原理講論475頁)、ということです。
さらに言えば、「同時性」の前時代である(ユダヤ教の)「統一王国時代」もそうか(原理講論474頁)、ということです。
特に、「統一王国時代」は、実際にイエス様が来られた時代が、ローマの属国だったことと比べて、神側に有利だったのではないか、とも思いました。
一方では、「キリスト教王国時代」はカトリックの時代であり、「異端」「中央集権」の要素があったことを考えます。
そうすると、「統一王国時代」も、まさに「異端」「中央集権」だったことを思い出しました。
結果的に、ローマの属国時代の方が、民主主義型の社会(原理講論492頁)であることが重要だったと考えます。
再臨主が生まれた時代も、まさに同様(原理講論428頁)です。
それは宗教面でも「キリスト教民主主義」(原理講論505頁)、すなわちプロテスタントが重要だった、と言えます。
以上は、「再臨の時期」に関して、「クリスチャンとの議論」の参考です。
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(蛇足)
御父様は、プロテスタントを失ったので、「軍隊のような」「中央集権」の「カトリック」的な家庭連合が必要になり、結果として、韓氏オモニという「異端」の問題も起きたのかも知れない、とも思いました。
「民主主義」の「プロテスタント」的なサンクチュアリは、まさにアメリカのクリスチャンと一つになれそうです。
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