「王と一緒に行くことが目的なのか、それとも自分の栄光を得るためだけなのか」
ドナルド・トランプを見てみなさい-10月21日 英語説教(その5:最終回)から引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
今日は聖霊によって話が導かれているようです。本当に聖霊が働いています。私ではなく神様の霊です。神様に栄光を。ハレルヤ。
とおっしゃったように、これこそ「核心説教」かも知れません。
1.中心者の苦労
君たち若者が見物人としてただ見ている間にドーンと落ちて、上がり始めています。映画を見ているようです。しかしその中にいなければならず、それを率いていかなければならないとすれば、神様の途方もない痛みを感じなければなりません。不安とストレスを感じるでしょう。全ての重みを感じるでしょう。
しかしもちろん君たちは外で見ていました。しかしいつかその重荷を背負わなければならなくなります。そしてそのような戦いで勝利しなければなりません。
2.神様の指導
我々は余りにも遠くまで進み、余りにも不安で、余りにもイライラしています。神様の前に何があるのか見たいと望んでいます。そこにはたどり着けません。賢い人間は神様が歩まれるペースで歩みます。神様が歩まれる時、神様と共に歩みます。
神様に毎日、「励ましてください」と願いません。あなたが落ち込んでいるから何だというのでしょうか。もしかしたら神様はあなたに落ち込ませる必要があるのかもしれません。そうすることで自分を励ます方法を覚え、もっと強くなります。なぜなら神様はあなたのすぐそばにおられるからです。
子供を訓練する時に、いつも「素晴らしい」と言うことはできません。時には「おい、それが君の全力じゃないだろう」と言うこともあります。現実を伝えなければなりません。「この部分は弱い、この部分は強い」と本物の指導をしなければなりません。全ての手順を伝えることはできません。
3.目的は何か
先に走っていきたいと思う人もいました。荷物の軽い男の子たちが先へと走りたがっていました。私は彼らにここに来た目的は何なのか尋ねました。王と一緒に行くことが目的なのか、それとも自分の栄光を得るためだけなのかと聞きました。
その後彼らは証しの中で、悪いことだと気づいたと話しました。考えてもみなかったけど、自分は強い人、かっこいい人になりたかったと思っていたのだと、しかし、自分は王を守るためにここにいたいのだと言いました。彼らはその瞬間に興奮して忘れていたのです。目的を失っていました。友達に勝たないといけないという目的になっていました。王を後ろに置いてもいいと。自分勝手でした。
目的が重要だったのです。ミクロ世界で起きたことだと言えますが、信仰生活世界でも起こり得ることです。
4.父の笑顔
神様と共に歩んで、先に行き過ぎず、また遅れ過ぎないようにしてください。ただ共に歩むのです。それが最良の方法です。
何とあるかと言えば、共に歩み神様を喜ばすのだ(第1テサロニケ4:1)とあります。ただ我々の父を喜ばせ、その顔を笑顔にしようとするということです。それが文字通りの人生の意義です。神様に喜びを捧げること。笑顔にすることです。
私がお父様に侍っていた時にそれがまさに私という存在でした。私が存在するのはお父様を笑顔にするためでした。コメディーのように笑わせるということではありません。喜んでいただくということです。すっかり喜びの笑顔にするということです。それ以外のことは重要ではありません。地位が重要ではありません。何であっても気にしません。ただお父様と一緒に楽しもうとしていました。
5.ただ一緒にいる
ただ一緒にいるという事実を喜ぶのです。事業に関連させようとか、自分に地位をくださいとか、私は尽くしているのでいくらか相続やお金をもらいたいとか、そういうことはありませんでした。ただ共に過ごすことを楽しもうとしていました。
6.純粋さ
ですから目的が純粋でなければならず、心情が純粋でなければなりません。少なくともできる範囲で、それに気づかなければなりません。
ですから私は、ただお父様と過ごす時間を楽しもうとするのです。ただお父様を笑顔にしようとするだけです。それが私の人生の目標です。簡単なように聞こえますが、神様に、お父様に喜びを捧げることがまさに信仰者の目標なのです。それが喜びであり、それだけです。その顔に笑顔を浮かべさせるのが我々の喜びです。簡単に思えますが非常に純粋なことです。
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「泉のほとりに」のブログの「教会長という立場は、天使長の使命をするのですーカイン・アベルについてー『信仰と生活ー第1集 原理の生活化』より」から引用します。
その時々の仕事によって、中心となる兄弟がアベルの立場で苦労するわけです。そこに平和があるのであって、一人だけがアベルというように決まった考えをもったら、その教会は苦しみ、家庭にも苦しみが来るのです。だから、そういう考えで解決したら、各々教会生活においての自分の位置が分かると思います。そうすれば、おのずと人の位置をわかってやらなくてはいけないし、そこでも自分は自分と、自分だけの道理を通せば、それは固執になってしまって、それは従うことにならないし、忠誠にならないのです。
相手が、神様でも、御父様でも、王様でも、会長でも、「その時々の仕事によって、中心となる兄弟」でも、いつでも私達に必要な心構えが分かりました。
(お問い合わせ先:メール sanctuary.saitama@gmail.com
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