「アベルとしての信仰、天使長としての組織」
一昨日の当ブログ「『組織』と『関係(信仰)』との違い」は、「矛盾」を説明するために、一つの答を出そうとしました。
今回のブログは、その「答」を弁護するものです。
「会長(教会長)はアベルです。(国進様)」の記事から引用します。
会長は亨進様の代身であり、アベルです。そしてアベルの正道「父母の心情、僕のからだ」を実践しておられるのです。
もちろん御父様も同じでした。
「父母」の代理=「アベル」
「心情」≒「信仰」
「僕」=「天使長」
「からだ」≒「組織」
それをタイトルにしました。
マタイによる福音書/ 20章 28節
それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」。
「仕える」=「僕」
イエス様も同じでした。
天一国合衆国憲法 前文
神の王権の役割は、神とこの世の人々との間のこの契約を保全し保護することでなくてはならない。
「役割」≒「組織」
「保全し保護する」≒「仕える」
すなわち、御父様・イエス様・二代王様という、究極的な「アベル」でさえ、組織面では「天使長的」だと言えると思います。
原理講論 473頁
統一王国時代において、「信仰基台」を復帰する中心人物は、預言者を通じて示される神のみ言を実現していく役割をもった国王であった。預言者や、祭司長は、神のみ言を代理する者であるから、その時代におけるアベルの立場に立つようになる。しかし、復帰摂理路程において、彼は、あくまでも霊界を代理して、天使長の立場から実体の世界を復帰していかなければならないので、国王が立ち得る霊的な基台を準備し、王を祝福して立たせたのちには、彼の前でカインの立場に立たなければならないのである。
「中心人物」=「アベル」
「国王」≒「天一国主人家庭」
「預言者・祭司長」≒「会長(教会長)」 信仰面で「アベルの立場」と、組織面で「天使長の立場」の、両面があります。
そして、「国王」が信仰面で「アベル」として「立つ」には、「霊的な基台」が必要です。
「会長(教会長)はアベルです。(国進様)」の記事に戻って、別の部分を引用します。
不信を抱くその人自身の心がアベルという存在を受け付けなくなっているのです。
これはその人自身が乗り越えなければならない信仰的課題なのです。
この場合は、「霊的な基台」が準備されていないと思われます。
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ついでに、当ブログの古い記事(2016年1月12日)「組織を超えた『関係』」から引用します。
Cyberサンクチュアリ人協会の会長だった時、江利川総会長とお会いして、私が正直に、率直に発言した言葉が、「もう、一つになりましょうか?」でした。
私は、別の組織で活動する必要性を感じていませんでした。
亨進様・国進様の考えは、「江利川総会長が中心だが、強制はしないので、自然屈服するまで、自由競争」ということです。
それを知って、「自由競争」にこだわるのは、「中心に屈服したくない」思想です。
御父様との「関係」、亨進様・国進様との「関係」を持ちたいと願えば、両方の側近である、江利川総会長との「関係」を持つのが一番です。
もちろん「自由競争」で、「自由選択」が可能です。
「自由選択」の結果が、今、各々の人の所属です。
(お問い合わせ先:メール sanctuary.saitama@gmail.com
電話番号 堀勇一070-6670-5334 堀久子070-6637-7424 )
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