「死を恐れない」二代王様
文鮮明先生말씀選集の、真の世界創建の主役 (6、完)は10月5日付の記事です。
9月16日以来の、待望のものから引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。
その後も、お忙しいと存じますが、ご健勝をお祈り致します。)
統一教会の人たちは‘死のう’と言えば死ぬ人が多い。ここの人の中にも私が ‘共に死のう。’と言えば死ぬ人がいるか? どれ、手を挙げて見な。一匹もいない。(笑い) あ、いないのでこのような人たちが何にかかるのかということだ。言葉でも言えない。
笑い事ではなく、御父様は寂しかったと思います。
ただし、この御言葉は、次の環境で語られたものです。
2005年8月8日(月)、ノースガーデン(アラスカ コヂアック)。
このみ言葉は朝の訓読会の時、韓国の国家指導者特別セミナー参加者にされたもの。
どちらかと言えばVIPで、食口ではなかったと思います。
「真の父母は一体」ではないと韓オモニが裁判所で証した-9月30日日曜礼拝 英語説教(その2)から引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
家庭連合は、私をあざけり、さげすみ、十字架につけました。今度は裁判所に引き出して私が持っているものすべてを壊そうと企んでいます。それでも全く構いません。死を恐れないからです。死んだ人間をどうしてまた殺すことができますか。私はすでに死んでいます。これまで彼らは何千万回も私を磔(はりつけ)にし、暗殺したというのです。
私はすでに死んでいる、死んでいるものをどう殺そうというのか。
私は一度死んで、聖霊と私の中に生きておられるお父様の霊によって再び蘇った者です。私を殺すことはできません、もうすでに死んだからです。キリストに生きるため私は死んだ。ハレルヤ。だから彼らは負け試合をしているに過ぎません。
これはクリスチャンの精神と似ています。
聖句を引用します。
ローマ人への手紙/ 06章 04節
すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。
私達も、その精神を忘れず、二代王様と共に、御父様とイエス様の後を、ついて行きたいと思います。
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