「偉大な人は、汚いところに行って尊敬されなければなりません」
主イエスの名で聖霊をよぶ教会、 キリスト教徒にあふれる聖殿教会になります。■<第三部>9月5日 韓説教 文亨進二代王 から引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
私たちも韓国で、お父様が、麻浦(マポ)教会に私を送った時、本部教会、天福宮で世界会長した時、私たちはどのように、お父様が私たちをどう訓練させましたか。私たちみな訓師様たちと一緒に、指導者と一緒にどうした?小便器、大便器を掃除したじゃないですか。 そうですか?そうじゃないですか? え?ダンベリー訓練。(笑)
え?それはどれだけ重要ですか。 え?信俊(シンジュン)は天正宮で暮らしていたが、ダンベリー訓練を一度もしなかった! 糞、糞、便器、糞のくずがついた便器を掃除して、小便、小便器の掃除を一度もしなかったんだ! そうですか?そうじゃないですか? だから、だから信俊が今は糞と小便の担当です。今から。 信俊が3代王として、お父さんがさせるからあの子は糞と小便の担当者。
私の父さんは私に糞の片付けを訓練させて、芝を刈りながら一時間に1ドル、最初の仕事として訓練させてくれた。 それではどこに行ってもこいつは感謝出来る。
自叙伝111~112頁から引用します。
監獄では三十六人が一部屋の監房に生活しましたが、非常に狭い部屋の隅に置かれた便器の横が私の居場所でした。夏になれば水があふれて湿っぽくなり、冬になれば氷が凍って、誰もが嫌がる場所です。便器といっても蓋のない小さな入れ物があるばかりで、その臭気は筆舌に尽くしがたいものがありました。
塩のスープに蕎麦の握り飯を食べた囚人は、ともすれば下痢を起こしました。
「ああっ、おなかが!」
おなかをかばって便器まで刻み足で走ってきた囚人が、お尻を出すやいなや、慌てふためいて液便をザーッと出すので、便器の横にいる私はややもすると液便を被りました。
全員が寝静まった夜中にもおなかが痛む人はいるようです。
「あっ、痛っ」
と言って、足を踏まれた人の悲鳴が聞こえると、私は素早く起きて隅に行って座ります。人を踏んづけて急いで便器まで駆けてきた人は、そこに来てお尻を出す前に下痢便を漏らし、無理にでもそのまま我慢して排泄するので、飛沫が飛び散って悲惨なことになります。寝入っていて、きれいによけられない日は、そのまま被るしかありません。それでも、四六時中液便が跳ねるその隅の場所を、私の居場所と思い定めて生活しました。「よりによっていつもそんな所に座るのはどうしてか」と他の囚人に聞かれると、「ここが一番楽です」と答えました。わざとそうしたということではないのです。その場所に座ると本当に気持ちが楽になりました。
天聖経 第11巻 宇宙の根本 第二章 人間創造と愛の理想の完成 四 生殖器は最高の神秘、最大の関心事 3.真の愛は汚いものも消化 から引用します。
生殖器と小便や大便をするところとは、最も遠いですか、最も近いですか。偉大な人は、汚いところに行って尊敬されなければなりません。生命の場には肥やしが必要です。きれいなところはありません。
一昨日の当ブログでは、「天一国憲法」が「再臨主の証明」でした。
しかし、今回の記事が「再臨主の証明」だと考える人も、いるかも知れません。
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