初めての「2日修」の思い出 「霊の親」の悪口から
一昨日の当ブログ「(元)『霊の親』の悪口」を書きながら、思い出しました。
初めての「2日修」は、29年前、31歳の時、1989年の11月、ちょうどベルリンの壁が崩れた時、尾瀬霊園の修練所で、参加者とスタッフを合わせても数人しかいない、小規模なものでした。
松濤本部の向かいにあったビデオセンターで、佐野講師のビデオ講義を見終わり、「統一原理レベル4」を読み終わった時に、「2日修」に誘われました。
しかし、また同じ内容の繰り返しだと聞き、断りました。
その後、職場の同僚と食事をしながら、「最近、宗教に勧誘されて」と軽口を言いかけた時、水の入ったコップが、触ったかどうかも分からないのに、倒れました。
さらに、その後、食べ物を飲み込むと、喉から胸に違和感を感じるようになりました。
そんなことから、「2日修を断ったのが、良くないのかも知れない」と考え、参加することに変えました。
2日修の講義では、アブラハム路程のイサク献祭のところで、聖書拝読が回って来ました。
既に子供のいた私は、アブラハムと神様の、辛い親の心情を理解し、初めて「心情的」な感銘を受けました。
(ビデオ講義と本では、「知的」な感銘を受けていました。)
講義の合間に、散歩と簡単な祈祷会のために、霊園に出た時がありました。
スタッフの一人は、元スチュワーデスの女性でした。
雑談の中で、言われたことを覚えています。
「堀さんは、今、引き上がっているところだから」
私は、女性の「上から目線」を感じました。
私は、女性より下にいて、「引き上がっているところ」なのか、と思いました。
悔しいけれど、それが本当ならば、「引き上がらないと、もっと悔しい」と思いました。
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「霊の親」は、私のブログを読むことはない、と思っています。
しかし、もしも読むことがあったら、「悔しい」だろうと思います。
それを考えて、今回の記事になりました。
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