マタイによる福音書なう 「願望実現」「家庭連合」
「マタイによる福音書」について書こうとしたら、ちょうど、「ヨハネによる黙示録サーフィン」というタイトルを拝見して、タイトルを考えました。
(「啓示」に感謝申し上げます。)
1.願望実現
「キングスリポート7月5日(木)祈福信仰(ご利益信仰)を非難する。」に引用があります。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
今日の聖書リマは、マタイ福音7章7節です。
7 求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
8 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
9 あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。
そして、二代王様の御言葉です。
神様はランプの中の妖精ではありません。
私たちの命令を聞く犬ではありません。
私たちが願って、私たちの言うことを聞かなければならない存在が神様ではないのです。
もちろん、神様は善良な父であられます。
しかし、そのどんな善の父も、子供がおもちゃを買ってくれと騒いで地面に横たわったからといって、子供に買ってあげないでしょう。
愛の父親ならばその子供に、'君は神様ではないんだよ、君がほしいものを君が望む時に、全部もらうことはできない'と話してあげるはずです。
飴を今すぐ私がほしいからくれと言う肥満症の子供に、飴を快く出す良い父親はいないでしょう。
それはその子供に良くないからです。
私たちを愛しすぎるために、私たちが望む度におもちゃを買ってくれて、私たちが食べたいたびに、キャンディーをくれないのです。
実際にも、私達は、願いがかなわない経験を、充分にしています。
ですから、私は、むしろ(聖書によっては、同じ頁から)、次の聖句を(リマでなく、意図的に)選びます。
マタイによる福音書/ 06章 30節
きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。
どんな状況であれ、自分にとって、「現状がベストなんだ」と考えます。
「野の草よりは幸せだ」
2.家庭連合
上記、二代王様のリマの直前の聖句です。
マタイによる福音書/ 07章 06節
聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。
しかし、私は、澤田さんの活動を支持しています。
昨日の当ブログに書いた通り、「毒麦」が「毒麦」であることが、明らかになるからです。
そして、「犬」が「犬」であること、「豚」が「豚」であることです。
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ポリティカル・コレクトネスにひっかかりそうですので、ワシントンポスト_トム・ダンケル氏、二代王と王妃を語る。■キングスリポート7月9日(月) から引用して終わります。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
家庭連合に、少しでもアルファの性格がある男性たちは、皆教会を離れて行くでしょう。
そのようにPC(ポリティカル・コレクトネス )政治的に文化的に許された発言だけできる状態)が、完全に法のように扱われる文化サタニズムになったのです。
(お問い合わせ先:メール sanctuary.saitama@gmail.com
電話番号 堀勇一070-6670-5334 堀久子070-6637-7424 )
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