埼玉サンクチュアリ教会(日本サンクチュアリ協会 埼玉教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

余談 「交差配列」と、慰めの歌

(昨日の当ブログは、どうにかサンクチュアリ関連と言えますが、今回は余談です。)


韓国福音派キリスト教界が「真の母」という用語を使い始めた!-6月17日「鉄のつえの王国18」英語説教(その2)から引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)

交差配列というのはA→B、B→Aのパターンです。これはヘブライ語の詩的散文に決まって見られるのです。もちろん宗教聖典にも見られます。なぜこういうことが発達したかというと記憶しやすいようにするための工夫でした。(文字ではなく)口頭で伝えていくものでしたから。

神は→偉大だ。(A→B)良きお方こそ→神様だ。(B→A)というものです。


ボブ・ディランの歌で思い出すものは次です。

All you can do is do what you must.

You do what you must do and you do it well.

(できることは、やらなければならないことをやるだけ

やらなければならないことをやれば、うまくやる)


Buckets of Rain(カバー)

御言葉に出会う前の、「哲学」あるいは「慰め」でした。
その精神は、昨年9月10日の当ブログ、自作曲(2014年)にも受け継がれています。

最善でなくても やれることだけやる

最善なのかどうか その時分からない

要するに、「高望みしない」ということです。
御父様の精神とは違うと思いますが、「慰め」も必要です。


自作曲の上記部分は、「交差配列」ではありません。
「交差配列」は、次の部分です。

かわいそうであれば 許されているはず

許されていないなら かわいそうではない

作曲には、ある程度、必然性があります。
この歌の場合、ある「裏切り」について、「自分を慰める」ためのものでした。


「裏切った人」について、その事情により、神様が許しているのなら、文句は言えません。
神様が許していないなら、「報い」を受けるでしょう。


同時に、「裏切られた人」について、その結果が、「罪滅ぼし」(蕩減条件)になったとすれば、良いことです。
「罪滅ぼし」(蕩減条件)が足りないとすれば、文句は言えません。


一昨日の当ブログのように、「罪人」同士の人間関係には、「謝罪」と「自己否定」が必要です。
私の場合、「慰め」も必要でした。



(お問い合わせ先:メール sanctuary.saitama@gmail.com
         電話番号 堀勇一070-6670-5334 堀久子070-6637-7424 )


「キリスト教」のブログは、こちら

任命式の映像はこちら

×

非ログインユーザーとして返信する

あと 2000文字

※は必須項目です。