ユダ以外の弟子たちの失敗
1.隣人の命を守れなかった
昨日の当ブログに関連して、本体論で学んだことを思い出しました。
ユダは、自分の「悪」と戦うべきでした。
しかし、他の弟子たちも、ユダの「悪」と戦うべきでした。
「自分は裏切り者ではない」と主張するだけではなく、裏切り者を追及し、事前に止めさせるべきでした。
最も大切な「隣人」、イエス様を守る「平和警察」の責任を果たせませんでした。
2.ペテロも裏切った
「あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」も、イエス様の予言でした。
ぺテロは、まず、その「み言」を否定してしまいました。
ペテロは、「自分の心を信じるのではなく、イエス様のみ言を信じ、慎重に考えなければならなかったのです」(原理本体論2012年版677頁)。
「み言」を信じた上で、「悪」と戦うのが、「責任分担」です。
「責任分担」を果たせば、イエス様の「予言」も変わり、祝福の「み言」を下さったと思います。
3.結局、皆、自己中心だった
ルカによる福音書/ 22章 21節~24節
しかし、そこに、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に食卓に手を置いている。
人の子は定められたとおりに、去って行く。しかし人の子を裏切るその人は、わざわいである」。
弟子たちは、自分たちのうちだれが、そんな事をしようとしているのだろうと、互に論じはじめた。
それから、自分たちの中でだれがいちばん偉いだろうかと言って、争論が彼らの間に、起った。
「隣人」の心配よりも、「自分」の心配が、大切になりました。
(「善良な人」であっても、「訓練」されていない人は、そうです。)
それでも、イエス様は、次のように指導して下さいます。
ルカによる福音書/ 22章 25節~26節
そこでイエスが言われた、「異邦の王たちはその民の上に君臨し、また、権力をふるっている者たちは恩人と呼ばれる。
しかし、あなたがたは、そうであってはならない。かえって、あなたがたの中でいちばん偉い人はいちばん若い者のように、指導する人は仕える者のようになるべきである。
御父様の御言葉から、似たものを引用して終わります。
文鮮明先生말씀選集の、真の神様の平和王国は我が祝福家庭たちの真の祖国 (7)から引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
目がひっくり返って出世を考え大声を上げたというが、上がれば上がるほど中心の根が深く入って行かなければならない。皆さんが高ければ根っこを少しづつかじって食べ、反対になれば倒れるのだ。壇上に座ることを好む輩(やから)たちになってはだめなのだ。先生が僕の僕の死活(生活?)を今までしてきたのだ。
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