「他者中心」の御言葉
<全ての市民が鉄の杖を持つことの意味-1月7日「鉄の杖の王国2」英語説教ポイント(その2)>から引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
あなたをチェックすることができる人がいるというのは祝福です
私は一緒に訓練する「忍者NINJA」たちに絶えず言うことがあります。いつでもあなたを殺すことができる人が一緒にいるということは恵みである、ということです。あなたをチェックすることができる人がいるというのは祝福です。ここで学んだことを無責任なやり方で使おうとするなら、他の「忍者」があなたを殺すことができるということです。何かばかなことをして傷つけたり、学んだことを使って致命的な方法で誰かを脅したりするなら。
神様を愛し隣人を愛することです
価値は相続されるものであり、全能なる神様が授けてくださるものです。私たちはそれに感謝して、当たり前のことだとは思わずにそれを守るのです。
お金と富よりも大きな考えを持っています。もっと大きな目的があります。訓練の時、強くなろうとするだけのことや人を殴ることより、もっと大きな目的があるのだと青年たちに話しました。その目的とは神様を愛し隣人を愛することです。訓練するのはそのためであり、それが動機となるべき理由です。すると70歳や80歳になっても、神様を愛し隣人を愛するために、訓練して自分をより良くすることができます。
「還暦」になって、実際に「老い」を感じるので、「70歳や80歳になっても」というのが「鼓舞的」です。
キングスリポート1月5日(金)から引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
私は自分の能力でした事がありません
私は神様の王国について、多くのお祈りをしました。
神様の王国を鉄の杖で治めると言われましたが、その鉄の杖が何かと聞きました。
そして神様が、鉄の杖がこのAR長銃である、ということを教えて下さいました。
(善良な市民が鉄の杖を持つということを教えられました。)
私は自分の能力でした事がありません。
しかし、再臨主の恩恵で、私を再臨主の代身者・相続者の位置に座らせました。
私が優れているからではありません。
私が自分自身を相続者・代身者に指定しなかったこと、それこそが私の最も強い面だと、私は考えます。
1月3日韓国語礼拝「神様の王国の、鉄の杖1」<全文訳>から引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
尋ねてみて生きなければならないではないですか
康賢実 真のお母様のみ言
それで、この方がお父様を追いかけて聞いてみたのです。「お父様、これは、中に着るチマに作って着るのが良いですか、外に着るチマに作って着るのが良いですか。」すると、お父様が言われたことが、何と言われたかといえば。「外に着るチマをしようが、中に着るチマにしようが、私に何の関係場あるのか。」すると、「それでもお父様に承諾を受けて、尋ねてみて生きなければならないではないですか」と。その程度に承諾を受けて、尋ねて生きる、尋ねて生きるために、罪を犯すことができない方なのです、その人は。
私も、改めて思いました。
「私は自分の能力でした事がありません」
他のブログの翻訳・掲載に、重ねて感謝申し上げます。
(お問い合わせ先:メール sanctuary.saitama@gmail.com
電話番号 堀勇一070-6670-5334 堀久子070-6637-7424 )
「キリスト教」のブログは、こちら
任命式の映像はこちら