埼玉サンクチュアリ教会(日本サンクチュアリ協会 埼玉教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、真の御父様・亨進様・国進様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

今までのテキストの連結 創造原理まで 原理本体論の要約

使用に便利なように連結します。


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はじめに
『原理本体論』では、『原理講論』で説明しなかった内容をいっそう本質的に分析することで、原理の本体であられるお一人の神様を人類の真の父母として明かしています。
したがって『原理本体論』は、人間始祖の堕落によって真の父母であられる神様を失い、孤児になった人類がつくった現実世界の、そのあらゆる問題を解決することになるでしょう。


Ⅰ.総序論 原理本体論を勉強する理由


1.現実世界のすべての問題を解決するために
現実世界には葛藤と対立という問題が居すわっています。


1)現実世界の問題


家庭の問題
その原因は夫婦の葛藤にあります。


青少年の問題
人体で最も神聖で尊いものが生殖器であるのに、それを売り買いする商品にするとすれば、それ以上に悲惨なことはありません。


教育の問題
学生たちは、学校において、本当に良い男性や良い女性、本当に良い花婿候補や花嫁候補、本当に良いお父さんやお母さんとして良い家庭を導いていける、人間を中心とした教育を、ほとんど受けることができません。


労使の問題
不法闘争や不法ストライキは経済的損失も大きいし、人命の被害も出かねない危険な行為です。


人種差別


国境の問題


宗教の問題
宗教が追求するものは、自由と平和と真の善、争いのない幸福な世界ですが、そのような本質を失ってしまったことが問題です。


霊界の問題
霊界を認めても「それが人間の地上生活といかなる関係があるのか」という問題は、人間が必ず解くべき課題です。


思想の問題
今日、最も大きな問題は、人間の本性を指導できる思想がないという点です。


公害の問題


世界的な対立の問題
その根本原因は、アダムとエバの堕落に遡ります。


哲学の問題
それは神様をよく知らないからです。


人生観の問題
人間は表面的には一つに統一されているようですが、実際は、内部で心と体が互いに分かれて多くの葛藤と対立と闘争を繰り広げています。


神観の問題
同じ教会に行く信仰者でも、神様をどれくらい正確に知っているかによって、各自の人生観と結婚観、また歴史観、国家観、そして世界観と宇宙観が違ってこざるを得ないのです。


2)なぜ問題が生じたのか
堕落によって人間は心と体が分かれ、個体内では葛藤と対立と闘争を繰り広げています。


3)堕落が招いた人生の問題
創造当時から神様が付与した人間の本性を失ってしまったので、人間は神様の創造理想が分からないだけでなく、神様の子女になる資格まで喪失したのです。


4)現実の問題を解決できない理由
問題が発生するたびに、枝葉末節的に対処してきたので、問題の根本が解決されなかったのです。


2.問題の解決方案
神様の摂理の時代性からみて、必ず新しいみ言が出てこなければなりません。
新しい時代に与えられた新しいみ言によって、隠されていた歴史の秘密が明らかになるでしょう。



3.統一原理の構造と中心内容
前編 創造原理=中心内容
   堕落論 終末論 メシヤ論 復活論 予定論 キリスト論
後編 復帰原理 復帰摂理 


4.統一原理出現の背景
原理を探し出すことは、太平洋の海から、砂粒を拾って合わせていくことよりも困難だったといいます。
このみ言を探し出すために、億万のサタンと血みどろの戦いをすることもありました。


Ⅱ.前編


第1章 創造原理


序論:創造原理とは何か
創造原理を正しく知ってこそ、私たちの人生や、さらには宇宙について知ることができ、人間と宇宙を創造された神様をはっきりと知ることができるのです。


1)よい暮らしをする方法(設計図)
私たちが物を目的に合うように使わなければならないように、万物の霊長である人間も、創造主であられる神様の創造目的のとおりに生きなければなりません。


2)よい暮らしをする人間、貧しい暮らしをする人間
もっと根本的な面でよい暮らしをする人と貧しい暮らしをする人を規定するならば、創造原理のとおりに生きる人は、よい暮らしをする人であり、創造原理のとおりに生きられない人は、貧しい暮らしをする人です。


3)人生の目的はいつ決定されるのか
人間は、生まれて生きている間に人間の生きる目的が決定されるのではなく、人間が生まれる前、神様が人間を創造される時、すでに決定されているのです。


1.神様の二性性相


1)存在の法則
因果の法則 見えない神様は原因であり、見える被造物は結果なのです。
類似の法則 被造物は、原因者である神様に似たという事実を知ることができます。


(1)陽性と陰性
男性と女性は生殖器を見て区分します。


(2)性相と形状
見えない心が体を通して表現されるのです。


2)神様の実相
神様は見えませんが、本性相と本形状、本陽性と本陰性の二性性相という様相をした中和的統一体としていらっしゃいます。


(1)本性相と本形状


本性相
根本の属性が、まさに心情です。
その心情から出てきた愛が真の愛ですが、真の愛を実践することで人格がつくられるのです。
神様が実体をもたないかぎり、このような内容は実体化されません。
また感じられもせず、体恤されもしません。
だとすれば、神様が実体をもつために人間を創造したと見なければなりません。


本形状
本性相の対象であり原理本体の体だということができます。
これは能力に該当する分野であり、現象世界を存在させる力なので、万有原力ともいいます。
万有原力には原理と法度と秩序が含まれます。
創造が起こる前に、神様にも完成するための成長期間がなければなりません。
神様も本性相と本形状を通してご自分自らを創造し、成長させてきたという意味です。


(2)本陽性と本陰性


創造は本性相の心情と本形状の能力を動機として起こりますが、最終的には本陽性と本陰性の「絶対性(absolute sex)」を通して成されるのです。
神様の実体としてアダムとエバ(男性と女性)が現れる時、「絶対性」真の父の真の愛の種と「絶対性」真の母の真の生命の体が一つになって繁殖が成されます。
実体であるアダムとエバの生殖器を通して血統が立てられ、血筋が続くようになるのです。


(3)二性性相の統一体


本性相と本形状の統一体
心と体は概念として見る時は、精神と物質に分かれますが、実際は一つなのと同じです。
本性相と本形状の中心は心情です。
心情があるので、真の愛と人格もあり、原理と法度と秩序的な生活も可能なのです。
神様の本質的属性である心情と真の愛と人格に似た人間は、原理と法度と秩序的な生活を通して、人類を統一体にしていくことができます。


本陽性と本陰性の統一体
本陽性と本陰性とは、神様の「絶対性」(生殖器官)に属する二つの要素をいいます。
それは神様が真の父の生殖器、すなわち「絶対性」の精子である真の生命(愛?)の種をもち、真の母の生殖器、すなわち「絶対性」の卵子(真の生命の体)をもったという話です。
神様は二つの生殖器をもっていらしゃいましたが、その生殖器は使うところがありませんでした。
原因的存在には時間と空間性がないばかりか、神様は無形の本体であられるからです。
ですから、神様は二つの生殖器をもっていらっしゃいますが、ご自身が自ら感じ、体恤することはできなかったのです。
それで神様は分離された実体を創造し、人間は男性の生殖器、女性の生殖器が別々なのです。
神様は、本陽性と本陰性の中和的主体としていらっしゃる「絶対性」の本体であり、すべての陽性と陰性の主体なので、格位で見れば、男性格主体になります。
それで神様を「父」というのです。
今後、男性と女性の秩序は、ここから立てられます。
したがって、主体と対象という言葉は非常に重要です。
神様の形状に従ってつくられた被造世界はすべて神様に似たので、主体と対象の秩序と法則の中で運行されます。
男性と女性は平等です。
愛ゆえに平等なのです。


本性相・本形状と本陽性・本陰性の統一体
統一体には争いの概念はありません。
お一人の原因者から生まれた実体はみな、相対的な存在でありながらも、内容から見る時は一つです。


3)神相と神性の構造(哲学の観点)


(1)神相
普遍相 性相・形状、陽性・陰性
個別相 個性真理体


(2)神性
心情
ロゴス 理性 自立性
    法則 必然性
創造性 人は誰でも、自分なりに神様から与えられた
    独特の創造性をもっているのです。
    創造性は、神様の心情が動機になります。


(3)性相の内部
内的性相 知情意
     神様には知と情と意が別々に存在するのではなく、
     それがすべて融合しています。
        最も重要なことは、どの場合でも心情が中心にならなければ
     ならないという点です。
内的形状 観念
     概念
     原則 自然法則 規範
        価値法則
                                私たち人間はなぜ苦痛を感じるのでしょうか。
         創造主の原則に背いたとき、
         その原則が人間を排斥するからです。
     数理 神様は高度な数学者であり、
        高度な科学者であるとともに
        高度な芸術家です。
         神様に似てつくられたあらゆる存在は、
         美しくないものがありません。
     
(4)神様の正体
心情と真の愛の本体
知情意と真美善の本体
原理と法度と秩序の根源 原理の本体
真の愛と真の生命と真の血統の根源 「絶対性」の本体
良心の本体
生命の本体
絶対・唯一・不変・永遠なる自存者 偏在されるお方
夜の神様 昼の神様 万王の王 真の父母
本性相と本形状は別の表現をすると、夜の神様と昼の神様だということができます。
それが心の神様、体の神様です。
神様は心に当たる性相的な夜の神様を実体化するために、神様の体に当たる形状的な昼の神様を創造されました。
体の神様も無形なので、実体をもたなければなりません。
それでご自身の体になるようにアダムとエバをつくりました。
神様の息子・娘は、心を通しては神様の四大心情圏に似て、神様の心情と一体となった心情の立場に立たなければならず、体を通しては神様の「絶対性」に似なければなりません。
個人的に心と体が統一され、そのような男性と女性が統一体になれば、神様も二つの属性の本体として存在されるので、心の神様である夜の神様と体の神様である昼の神様が統一体になるのです。


2.神様と人間の関係


1)心と体の関係
私の中で心と体が一体となっているように、神様と人間も、何ら関係のない別個の存在でな、一体です。


(1)縦的な愛、横的な愛


縦的な愛
神様と神様の形状である男性は、真の愛を成す直短距離にいるのです。
横的な愛
アダムとエバが本然の姿に成長して真の愛で一つになれば、神様の本性相と本形状、そして本陽性と本陰性に似た第二の神様が出現するのです。
アダムとエバの結婚は神様の結婚であると同時に、神様が実体的に現れる儀式です。
夫婦になったアダムとエバが愛を分かち合えば、その愛はアダムとエバの二人が分かち合うとしても、内的には実体であるアダムの生殖器と無形である神様の生殖器が一体となって、エバと愛を分かち合う格好になります。


2)父子の関係
見えない神様の心情から出発した真の愛が真の生命に展開し、再び真の血統に連結されるのが父子の関係です。


(1)子女が生まれる四つの原則


第一に
子女は父母の愛によって生じます。
お父さんとお母さんの愛も、神様の愛から出発したものです。
ですから、人間は神様の愛を完成するために存在するのです。
第二に
子女は父母のものとして生じました。
自分のものは初めから何もありません。
利己心と個人を中心とした個人主義はあり得ません。
第三に
相対のために生じました。
男性は女性のために生き、女性は男性のために生きなければなりません。
子供は父母にために生じ、父母は子供のために生じました。
第四に
永生のために生じました。
完成したアダムは神様の体でありながら、神様の息子であると同時に、完成したエバは神様の娘でありながら、神様の夫人にもなるので、完成したアダムとエバは、神様とともに永生できるのです。


(2)人間最高の希望
一番重要な願いは、良い新郎、またはよい新婦になることです。
家庭で子女が「私は、大きくなったらうちのお父さんとお母さんのような人にならなくては」という目標がなければなりません。
先に見せてあげ、示してあげない人には、そのような子供は出てきません。
私たち人間が神様の子女となり、神様を知って侍る心情的な人間になることによって、忠・孝・烈を備えるようになるという話です。


忠・孝・烈を備えてこそ、初めて子女としての資格を備えたということができます。
子女が資格を備えれば、父母はその子女を通して父母の名前をもち、父母の立場に立つのです。


3)神様の子女になるには
神様の子女になろうとするなら、神様に似なければなりません。
心と体に似るという話は、神様の本形状と本性相に似るという意味であり、血統に似るという話は、実体として「絶対性」に似るという意味です。


(1)神様の子女になる条件
各自はまず先に心と体の統一体にならなければならず、彼らが夫婦になれば、一緒に統一体にならなければなりません。
人間も本質的属性が心情にならなければなりません。
人間は生活を通して、毎日毎日、神様が願う本然の人間として創造されなければなりませんが、そうするためには、私たちの生活の動機を神様の心情から探し出さなければなりません。
人間は神様が下さったみ言を信じ、実践して、神様の息子・娘としての姿を備えていかなければなりません。
私という存在は、歴史の中でたった一人しかいません。
ですから、私も神様の前に変わりなく、永遠でなければなりません。
個人もそうであり、夫婦も同様です。
私たち人間も真の愛・真の生命・真の血統を受け継ぎ、「絶対性」を備えた実体にならなければなりません。
神様がそうなさったように、絶対信仰・絶対愛・絶対服従によって、本人以外の誰もタッチできない自分の人格を自ら創造するとき、人間に万物を創造したこと以上の価値が付与されます。
「絶対性」がなければ、神様の本性相と本形状に似た生活ができません。
今まで原理本体を明らかにすることができなかったので、それが原理本体の生殖器だと説明できませんでした。
「善悪を知る木からは取って食べてはならない」(創2章17節)とおっしゃった神様のみ言を守ることが人間の責任分担です。
その責任を果たせば、神様に似るということです。
人間もその父に似て「絶対性」の価値を立てれば、内面に絶対神格を備えるようになります。
神人愛一体理想とは、神様の愛と人間の愛が体を通して実現されることです。


4)真なる教育
人間教育は、心情教育と規範教育を中心として、家庭から始めなければなりません。
知識教育は、知識と技術を中心として、学校で行うものです。


(1)神様の真なる子女となるために
創造目的に適した真なる教育をするためには、教育理想を創造理想から見出ださなければなりません。
教育理念を実践するためには、
 神様の完全性に似る心情教育と
 繁殖性に伴う規範教育、
 そして主管性のための知識教育など、
具体的な教育方法が提示されなければなりません。


(2)原理を生活化するために
規範教育は秩序に関する教育です。
まずお父さんのご飯からよそって、お膳の上に準備したあと、
 家族たちのご飯を準備しなければなりません。
お父さんの靴が右側、お母さんの靴は左側、
 男性の靴は右側、女性の靴は左側、
 お兄さんの靴は右側、弟の靴は左側に置きます。
路上を歩くときも
 お兄さんが右側に立ち、
 弟は左側に立って歩かなければなりません。
靴下を洗って干す時にも
 お兄さんと弟のものを 区分しなければならず、
 男性のものと女性のものを区分しなければなりません。
主管するには知識がなければならず、技術がなければなりません。
体力も向上させなければならないのです。
教育の目標は、
 心情教育を通して人格者をつくり、
 規範教育を通して善なる人(=善民)をつくり、
 知識教育を通して天才を養成することです。


(3)文化の統一を成すために
心情統一・思想統一・生活統一


(4)愛天・愛人・愛国精神をもつために
愛天・愛人・愛国の中に、原理本体がすべて入っています。


5)二世性相が現実世界の問題解決の鍵


(1)性相・形状は万能の鍵
性相と形状の均衡を備えてこそ、存在目的と価値が達成されるのです。
父母と子女が生活するとともに、家庭を導いていくことのできる、根本的な家庭倫理が必要です。
心情が動機となった家庭の倫理観を立てなければなりません。
学校では、人間の心のような性相的な部分が教育理念です。
どこでも心情が動機にならなければなりません。
企業体にも性相的な部分である企業理念がなければなりません。
企業倫理は家庭倫理に起因します。
家庭を拡大したものが企業なので、そうなのです。
会社の社長は社員たちに息子・娘のように世話をし、保護しなければなりません。
そうなると、職員たちは会社の仕事を自分の家庭の仕事のように考えるようになります。
神様が訪ねたいと思われる国民となり、神様が祝福したいと思われる国家になるためには、そこにふさわしい国家的指導理念がなければなりません。
人類が、永遠に幸せに暮らしていく世界を実現するためには、性相的部分である世界統一と平和の理念をもたなければなりません。
必ず性相的価値観が確立されなければなりません。
価値観の統一が成されなければなりませんが、その価値観を統一するためのものが絶対善です。
絶対善は心情的生活を通して成され、ために生きる生活を通して成されます。
心情を伝達するために真理があります。
心情を伝達するためにみ言があるのです。


(2)陽性と陰性を通した現実問題の解決


(3)人間の最後の革命
人間革命は心情革命であり、心情革命は真の愛の革命であり、真の人格の革命です。
それが「絶対性」の革命につながらなければならないのです。


3.神様と被造世界の関係


1)神様の形象と象徴として展開された人間と万物


2)人間と万物の関係
対象がもつ属性と要素と性質をすべてもっているとき、その対象を主管することができるのです。


4.万有原力と授受作用および四位基台


1)万有原力
被造万物は自分自ら力をもつことができないので、力を発生させる原因的力がなければなりません。



2)授受作用
相対基準の中心は神様です。
神様の心情が動機となり、目的になりますが、授け受けする力は万有原力です。


(1)すべての存在は相対的存在(相応的存在)
主体と対象がこのように授受作用を通して愛と美を授け受けすれば、喜びがもたらされ、その結果、幸せになるのです。
対象は必ず主体を動機として現れなければなりません。
対象が動機になってはいけません。


(2)授受作用から見た良心作用
本然の良心の主体は神様です。
神様は真理と一つになっているのです。
人間の良心は真理と授け受けします。
堕落した人間は神様を失ったので、偽りを真理だと錯覚することもあり得ます。
本然の人間の良心作用と堕落した人間の良心作用は異なります。


3)正分合作用による三対象目的および四位基台


(1)正分合作用


(2)三対象目的
動機はいつも神様から来るのです。
ですから、自分が動機になってはいけないということです。


(3)四位基台


四位基台の意義
「私が神様の立場にあるのか、主体の立場にあるのか、対象の立場にあるのか、でなければ合性体の立場にあるのか」を知って、自分を正しく立てるためには、存在基台が確実でなければなりません。
分立されたアダムとエバは、父の愛を実体のように感じ、体恤できるようにする対象なので、アダムとエバの愛は長成的な愛に該当します。
神様の愛は蘇生的愛、夫婦の愛は長成的愛、子女の愛は完成的愛になるのです。
神様の立場では、4数が一番よい数です。
人はいくら有能で立派な能力をもっているとしても、12人以上を直接主管することはできません。


四位基台の種類
個人的四位基台 もちろん心と体が一つにならなければなりませんが、
        男性または女性として、
        自ら「絶対性」を備えなければなりません。


家庭的四位基台


主管的四位基台 神様が真心を尽くし、心血を注ぎ、
        すべてを投入してつくった万物世界です。
        心情で万物を主管し、
        真の愛で万物を治めるべきなのに、
        心情と真の愛が完成されていない立場では、
        主管性を発揮することはできません。


四位基台の存在様相
いつも動機が原理本体であり、中心も原理本体だという事実を、絶対に忘れてはいけません。
絶対価値は、真の愛・真の生命・真の血統です。
絶対価値は「絶対性」の上で立てられます。


5.創造目的


1)創造の動機と目的


(1)創造の動機
神様の創造の動機は心情です。
心情とは、対象を愛しながら喜ぼうとする抑制できない情の衝動です。
情の衝動とは、与えたくて、大切にしたくて、愛したくてたまらない気持ちです。
ですから、情の衝動を充足するために、対象を創造しなくてはいけません。
実体がなければ、神様も愛と喜びを実感することができません。
心情と一単語で表現しますが、心情には四つの類型があります。
子女の心情・兄弟の心情・夫婦の心情・父母の心情です。
その心情が成熟するのです。
原理本体自体がそのような過程を経たので、人間もそのような過程に似て完成していくのです。


(2)創造の目的
神様が人間を創造した目的は喜びです。
主体が喜びを感じるためには、その対象が主体に似ていなければなりません。
神様は善の本体なので、その対象は必ず善の対象にならなければなりません。
夫と妻が一体になったとき、神様が喜ぶことのできる創造理想が完成するのです。
神様は完全なお方なので、対象も完全であってこそ、喜びを感じます。
心情は神様の本質的属性なので、その対象も同じ属性をもたなければなりません。
その対象も同じ心情で創造性をもたなければなりません。
神様に似た対象・善の対象・完全な対象・心情の対象、この四つの条件を備えないかぎり、その対象は創造主である神様の前に、完全な喜びの対象になることはできません。
また子女として、父母の前でも喜びの対象になれません。
夫と妻の前でもそうです。


2)神様の喜びのための善の対象


(1)神様の運行、神様の喜び
神様が運行される所に喜びがあるので、神様の喜びのための善の対象も、神様が運行される四位基台で成されます。
四位基台を通して、神様が運行され得る三大祝福を完成するのです。


第一祝福(生育)
生育は個性完成を意味しますが、個性完成は人格者になることです。
心情と真の愛と人格が私たちの心の中に満ちあふれなければなりません。
それと同時に、体は原理と法度と秩序的な生活をしなければならないのです。
そのような心と体をもったとしても、それだけでは完全に神様に似ることはできません。
私が神様に似て、神様が私の中に入ってきて、お住みになることができるようにするためには、私自身が「絶対性」(絶対生殖器)を守らなければならないのです。
責任分担の核心は第一祝福にあるのです。


第二祝福(繁殖)
それは子孫の繁殖を通した家庭完成、すなわち理想家庭を成すことを意味します。
理想家庭は、生育して、「絶対性」の本体に似た実体の男性と、「絶対性」の本体に似た実体の女性となって、神様によって祝福されることから始まります。
その祝福は、生殖器の主人となることを許されるものです。
横的な生殖器の主人は相対ですが、縦的な生殖器の主人は父なる神様です。
「絶対性」の生殖器を通して、初めて男女が一つになることができ、父であられる神様もその中に入ることができます。
それで神人一体が成されるのです。
男性と女性が祝福を受け、二人が互いに愛し合うのは、神様の愛で愛し合うことであり、その二人の結婚は神様の結婚となり、その二人が愛し合って生まれた息子・娘は、神様の子女になります。


第三祝福(万物主管)
理想世界は、すなわち天国です。
天国も地上と天上を含むので、地上天上天国です。
その世界を天一国といいます。
天一国は、二人が一つになった家庭を単位として成り立った世界です。
父母が子供を信じて頼り、子供が父母を信じて頼り、兄さんと弟が互いに信じて頼り合うモデル家庭が、天宙の中心であり、格になります。
そのような世界では、技術も必要であり、知識も必要であり、体力も必要です。


(2)三大祝福の中の祝福、祝福結婚
三大祝福の中で最も重要な祝福は、祝福結婚です。
アダムとエバが「絶対性」の上で、神様に似た心と体をもった実体になれば、彼ら自ら生殖器の主人を決めずに、神様が生殖器の主人を許すようになります。
アダムがもつ生殖器の主人はエバである。
エバがもつ生殖器の主人はアダムである。
このように生殖器の主人を、原主人である神様から許されるのです。
それが祝福です。
人間が「絶対性」の上で責任分担を完成すれば、神様も人間も共に解放圏を完成するようになります。
それで「絶対性」を中心とした責任分担解放圏完成です。
神様も責任分担から解放され、人間も責任分担から解放されるのです。


(3)二重目的
性相的目的は全体目的を意味するので公的であり、形状的目的は個体目的を意味するので私的です。
個人は、個人として存在すると同時に家庭のために存在し、家庭は、家庭のために存在すると同時に、息子・娘を生んで繁殖しながらその氏族のために存在します。
そして氏族は、氏族として存在すると同時に民族を形成し、民族は民族として存在すると同時に国家を形成するために存在します。
国家は、国家として存在しながら集まって世界を成します。
世界人類が存在する目的は、世界人類として存在しながら天宙の目的を成すために存在するのです。
あらゆる存在世界は、お一人の神様に似て実体として展開された世界なので、彼らは連体になっています。
全てが有機体なのです。
ですから、互いに離そうとしても離すことのできない関係性をもっているのです。
地球上の一人が誤って苦痛を受けるならば、天宙が苦痛を受けるのです。
そのような世界が、堕落しなかった本然の世界です。


3)四大心情圏と三大王権
真の父母は最初に責任分担圏から解放され、完成したお方が得る栄光の称号です。
真の父母は神様を完成させ、神様のみ旨を完成させ、無形として存在される神様の実体となって、神様の血統を繁殖できるお方です。
四大心情圏を完成すれば、神様の血統を中心として三大王権が成されます。
三大王権はすべての家庭を代表し、存在世界全体を代表します。
それで王権だと表現したのです。
三大王権を中心として皇族圏が成されます。
四大心情圏を完成した人は、皇族圏の一員になるのです。


6.創造本然の価値の決定とその価値の基準
創造本然の価値は、創造目的を成就した時にのみ実現されるのです。


1)価値の定義
それは主体が欲求し、対象が充足させてあげるものだと定義できます。


2)価値の決定


(1)目的観から見た価値の決定
私がお一人の神様から来たので、私の心と体も神様の目的を実現するためにあるのです。
家庭の構成員たちは、お一人の神様の心情を中心として、真の愛で愛し合いながら暮らさなければなりません。
家庭が拡大したものが国家であり、世界です。
人は、家庭が拡大した世界で生きて霊界に行くのです。
価値は目的観によって決定されます。
その中心は孝です。
見える神様の実体となって、私たちの前に父母として顕現されたお方が、真の父母様です。
ですから、私たちは家庭で真の父母様に侍り、仕えるのです。


(2)創造本然の価値の決定
神様の創造理想を中心とした人間主体が、対象と授受作用して合性一体化することによって、神様の前に第三対象がつくられるようになりますが、それが創造本然の四位基台になります。
創造本然の四位基台がつくられたとき、初めて創造本然の価値が実現されるのです。


3)創造本然の価値基準
絶対者を基準として相対的に決定される、ある対象の価値も絶対的なのです。
けれども、神様は無形でいらっしゃるので、神様の実体として来られた真の父母様だけが、実体世界のあらゆるものを評価できる価値評価の基準になるのです。


4)創造本然の知情意と真美善
人間は創造本然の価値実現欲によって、心で神様の「知・情・意」に感応し、それが体で行動を通して創造本然の「真・美・善」の価値として現れるようになります。
その中で「知」は真を追求し、「情」は美を追求し、「意」は善を追求しますが、その中心は心情です。
私たちのあらゆる人生の動機が心情でなければならず、あらゆる創作の動機も心情でなければなりません。


5)愛と美、善と悪、義と不義


(1)愛と美
授受作用の結果、対象が主体に返す「美」が現れますが、美は三つに区分できます。
「忠」、「孝」、「烈」がそれです。
私の心の中心に神様を迎え、神様の心に従って、神様のみ旨が私のみ旨だという信念で生きることが、忠だというのです。
神様のために生きるように、私の心と思いと精神を尽くして父母のために生き、愛することが孝です。
「烈」というものは、相対を絶対的に信じて愛し、相対に服従するものです。
その価値は「絶対性」の上に立てられるのです。
その「絶対性」を失えば、すべて失うようになります。
「忠」もなくなり、「孝」もなくなり、「烈」もなくなるのです。


(2)善と悪
神様の創造目的を成就する行為やその行為の結果を、善といいます。
反面、サタンを中心として四位基台を造成することによって、サタンの目的を成就する行為やその結果を、悪といいます。


(3)義と不義
目的を成就する過程において、善のための生活的な要素を義といい、悪の目的、言い換えれば、サタンの目的を成就する過程において、その悪のための生活的な要素を不義といいます。
それは、常に「中心が神様か、そうでないか」という問題がついてきます。
常に神様が動機でなければならないのです。


7.被造世界の創造過程と被造物の成長期間


1)被造世界の創造過程
聖書の六日という概念は、24時間を基準とした六日ではなく、創造過程の六段階を意味するのです。


2)被造物の成長期間


(1)成長期間があるという証拠
神様の創造過程から見て
堕落から見て
神様が人間に責任分担を下さったことから見て
聖書的に見て


3)被造物の成長期間と人間の責任分担


(1)被造物の成長期間
万物は体を主とするので、成長期間を過ぎれば自動的に完成するようになっています。


(2)人間の責任分担
み言を守って責任を完遂すれば、アダムとエバは神様の完全な対象になります。
完全な対象は、完全な主体の直接主管圏に入るようになります。
直接主管圏は原理によって主管せず、真の愛で主管する領域です。
真の愛の主管圏は、ただ愛で対し、愛で治めるという話ではなく、神様が直接アダムとエバの体の中に入って、アダムとエバの体をまとって愛し、体をまとって主管する実体になるという話です。


人格の創造
霊人体を完成しなければならないのが、まさに人間の責任分担です。
また、神様を迎える立場に立つのが人間の責任分担です。
人間の責任分担は、人格を創造するためのものなのです。


(3)人間に責任分担を下さった理由
人間が神様の子女になる資格と万物を主管する資格を得るためには、万物を創造しなければなりません。
それで神様は人間に責任分担を与えて、万物を創造する代わりに、神様もすることのできない自分の人格を、自ら創造するようにされました。
それは、人間に神様の子女になる資格と万物を主管する資格を与えようとする配慮なのです。


8.人間を中心とした無形実体世界と有形実体世界


1)無形実体世界の存在有無
無形実体世界について「無形世界」と言ったり、「天上世界」、または「霊界」と言ったりするなど、それぞれ異なる表現をしますが、それらはすべて同じ意味です。


(1)創造原理から見て
心は見えませんが、間違いなく存在するように、無形実体世界も見えませんが、明らかに実体として存在します。
肉身という実体は限界性をもっているので、永遠性をもつ霊人体を人間に付与しました。
人間に永遠性をお与えになったのです。
神様がそのようにつくったので、地上で神様に侍り、神様に喜びを帰しながら生きた人間は、霊界に行っても永遠に神様の愛を受け、神様に喜びと美を帰する孝子と孝女として生きるのです。
その世界が地上天国であり、天上天国です。
霊界は愛の世界です。
家庭において愛と心情の訓練を受けることができず、完成できない人は霊界に行って生活できません。
霊界に行けば、地獄の一番どん底には淫らな人が行きます。
神様が居ましたもう神聖な生殖器を、自分の思いどおりに使ったので、地獄の一番どん底に行くのです。
その次に、生命をむやみに扱った人が行きます。
自殺した人、他人を殺した人が地獄に行くのです。
生命は自らのものではありません
神様のものです。


(2)聖書から見て
コリント人への第一の手紙15章44節には「肉のからだでまかれ、霊のからだでよみがえるのである。肉のからだがあるのだから、霊のからだもあるわけである」とあります。


2)人間の三段階生活


(1)母胎生活
胎児は水中生活において10か月の間、地上生活を準備するのです。


(2)地上生活
空気環境で成される地上生活の100年は、霊界生活の準備期間なのです。
完全な霊人体をもって帰らなければなりませんが、それがまさに二人が一つになることなのです。
神様の中の陽性と陰性、また性相と形状が統一体を成しているように、神様から分立して現れた男性と女性も、神様の中に帰るときは、夫婦となって統一体を成さなければならないのです。
結婚は自分のためにするものではありません。
相対を完成させるためにするものです。
相対が完成すれば、自分も完成するという話です。


(3)霊界生活
天国では相反と苦痛がありません。
相反と苦痛のある所は地獄です。
ですから、地上で暮らす間に、相反と苦痛をみな洗い落として行かなければなりません。
自分の心が神様に侍り、感謝し、喜びながら生きなければならないのです。


人間は、羊水の中と空気の中での人生を終え、完成した姿で霊界に行けば、愛の中(=愛中)で生きるようになります。
血統を取り戻して、地上で無形の真の父母様と実体の真の父母様に生活の主人として侍ったとすれば、霊界にもそのまま行くのです。
血統を変えるのが聖酒式であり、祝福式です。


3)肉身と霊人体の構造および相対的関係
肉身は外部から無形の空気や光を通して陽的(+)栄養素を受け、有形の食物を通して陰的(-)栄養素を摂取すると同時に、自体では肉心と肉体が授受作用をしながら成長するのです。
霊人体も肉身と同じように外部から陽的な栄養素と陰的な栄養素を受け、自体で生心と肉心が授受作用をしながら成長します。
生心と霊体が授受作用をすると同時に、神様から生素という陽的な要素を受け、肉身から生力要素という陰的な要素を受けて成長し、完成するのです。
生素は原理と愛であり、生力要素は肉身が造成した生命の力、すなわち原理を生活化した人格です。
霊人体は肉身がくれる生力要素を受け、神様から生素をもらいながら成長しますが、成長しながら肉身にまた生霊要素を返します。
生霊要素は、肉身を通して人格を生活化するようにするみ言です。
肉身をもって育つ初期、すなわち蘇生期の霊人体は霊形体といいます。
霊形体は霊形体級霊界に行きます。
その次に、長成期の霊人体は生命体と言います。
生命体が行く所は楽園です。
その次に、完成期の霊人体である生霊体になれば、天国に行くのです。
天国は、原罪がなくてこそ行くことができ、霊人体が完成してこそ行くことができる所です。
また、天国の基本単位が家庭なので、家庭を築いてこそ行ける所なのです。
イエス様は天国に行くことのできる人にはなりましたが、天国生活ができませんでした。
イエス様は家庭をもつことができなかったのです。
人間の霊人体は肉身をもっている時にだけ成長し、完成します。
もし霊人体が完成していないのに肉身を失ったとすれば、その霊人体は地上の子孫や、自らの性稟や素質に合った人の肉身を借りて、その人の霊人体とともに成長し、完成しなければならないのです。
人間の完成とは、霊人体の完成です。
霊人体の完成とは、神様が訪れることのできる生心の完成であり、生心の完成とは、神様の本質的属性である心情の完成です。
心情の完成とは、真の愛の完成であり、神様の希望であられる人格の完成です。
「絶対性」を守って真の血統の伝授が完成した時、人間は初めて肉身をまとって生霊体になるのです。


(1)肉身生活の重要性
人間が地上で暮らしながら罪を犯したとすれば、必ず地上で贖罪してから亡くならなければなりません。
贖罪するときは蕩減条件を立ててこそ罪が清算されますが、霊界では蕩減法が適用されません。
ですから、地上でのみ贖罪することができるのです。
肉身をまとって罪を犯した人が、その罪をぬぐえきれずに霊界に行けば、霊界で罪をぬぐう方法がありません。
ですから、地上に再臨して肉身をもった人間を通して、その罪の蕩減条件を立てなくてはならないのです。
そうするためには、2000年かかるかもしれません。
霊界でひどい苦痛を受ける前に、地上での生活をわずか1分でも大切にしながら、正しく生きなければならないのです。
それは永遠の喜びと幸福を得るためなのです。
肉身生活は霊人体を誕生させ、霊人体を繁殖させます。
肉身がなければ、霊人体の繁殖もありません。
神様に父母として侍り、誰が何といおうと、自らの本心に従って良心の声を聞いて生きなければなりません。
イエス様を信じる目的は、自分がイエス様のような人になるためなのです。


(2)霊人体の重要性
地上で見るときはひどい姿で、世の中の人々に醜いと後ろ指を差された人も、神様のみ言に従って霊人体が完成すれば、霊界では極めて美しく、極めて偉大に見えます。
霊人体の中には、地上でどのように暮らしたか、その人の一生が自動的に記録されています。
生きていた時に考えていたことまで記録されます。


(3)天国と地獄の決定
犠牲になり、苦痛を受けても人のために生きた人は、天国に行きます。
反面、自分の利益のために人を犠牲にして、人を犠牲にしながら自分を保護しようとする気持ちをもった人々が行く所が、地獄です。


(4)生心と肉心の関係から見た人間の心


人間の心
性相と形状の関係である生心と肉心が、神様を中心として相対基準を造した成して授け受けすれば、心が現れるようになります。
創造目的をもとに神様を中心として、生心と肉心が相対基準を造成して授受作用すれば、合性一体化した心になりますが、その心を本心といいます。
自分が真理だと信じるものを中心として相対基準を造成した、生心と肉心の授受作用によって合性一体化した心が良心です。


本心と良心の関係
神様を中心として相対基準を造成した本心と良心の授受作用によって、本然の心がつくられるのです。


堕落人間の生心と邪心
堕落によって生心は神様から生素を思い通りに受けることができず、未熟な状態でサタンの影響圏にとどまるようになります。
サタンが肉心と一体になれば、その影響で、肉心がいっそう成熟するので、肉心が主体になり、生心はその肉心の主管のもとに置かれるようになります。
そのような状態の生心と肉心が授け受けして、合性一体化した心が邪心だというのです。



(お問い合わせ先:メール sanctuary.saitama@gmail.com
         電話番号 堀勇一070-6670-5334 堀久子070-6637-7424 )


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