「八潮市のキリスト」
9月17日の英語説教から引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
自分のアイデンティティを理解しなければならないということです。子供たちがあなたに罪悪感を覚えさせないようにしなければなりません。そして孫も。孫は最もあからさまでしょう。友達、同僚、誰からも、あなたが受け継いだものから罪悪感を覚えさせられてはいけません。もしそうなれば、神様の王国をサタンに売り渡すことになり、そこに入ることはありません。
王権の深刻さを理解しなければなりません。キリストの王族というアイデンティティの深刻さを理解しなければなりません。王冠をかぶることに対して誰にも自分が愚かだと感じさせられてはいけません。
9月24日、日本サンクチュアリ協会の首都圏合同礼拝の講話は、「八潮市のトランプ」という題目でしたが、それは「アイデンティティ」(自分は何者か?)に関するものでした。
「八潮市のトランプ」と自称することは、たとえ「単なる宣伝文句」だと思われたとしても(自分の当選よりも大切にしていることは分からなくても)、トランプを支持していることは明らかです。
「イエス・キリストの洗礼を受けましょう」と言うことも、イエス・キリストを支持(信仰)していることの表明(告白)です
両方をやって、分かったことは、後者の方が緊張する、ということです。
世界的宗教の教祖への支持表明(信仰告白)が、政治の問題児への支持表明よりも緊張するのは、それくらい、キリストに反対する悪霊界があるのだと思います。
しかし、もしかしたら、「トランプは嫌いだけど、イエス・キリストは興味がある」という人が現れるでしょうか?
そのような中で、「八潮市のキリスト」と自称したらどうだろうか、と考えました。
原理講論177頁から引用します。
メシヤという言葉は、ヘブライ語で油を注がれた人を意味するが、特に王を意味する言葉である。イスラエル選民は彼らの預言者たちの預言によって、将来イスラエルを救う救世主を、王として降臨させるという神のみ言を信じていた。これがすなわち、イスラエルのメシヤ思想である。このようなメシヤとして来られた方が、まさしくイエス・キリストであるが、このキリストという言葉は、メシヤと同じ意味のギリシャ語であって、普通、救世主という訳語が当てられている。
しかし、「メシヤ」と「キリスト」は、印象が違います。
メシヤは、他の宗教でも使われており、一般的な「救世主」の印象で、複数を想像できます。
しかし、「キリスト」はイエス様のイメージが強く、唯一性を感じます。
「八潮市のキリスト」は、クリスチャンからの非難を待つまでもなく、不適切な表現だと思います。
なぜなら、他の宗教のメシヤはさておき、サンクチュアリの「氏族的メシヤ」だけでも、3家庭いるからです。
言葉を変えれば、八潮市には3人の「王」がいます。
そして、さらに増やさなければなりません。
9月17日の英語説教から引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
再臨主の真の相続者、後継者、代身者は1人だけです。私がその者ですが、自分で選んだことではなくお父様がそうされたのです。そして私はお父様の権威の下にあるみなさんに王冠を授けるのです。
今、王国が現れようとしています。そして王冠と鉄の杖の運動が始まり、地上を埋め尽くそうとしています。キリストの肢体たちが来るべき本当の王国の現実に目覚め始めています。その人たちも王国に加わり、キリストの権威の下に来るでしょう。
自分達のアイデンティティを理解するために、それを見て確信しなければなりません。誰かが先駆者となって出て行って矢を受け、あらゆる嘲りを受け、それでもただそれを実行して「何の価値もない、自分たちでもできる」と言われるまでやり抜くのです。
「八潮市のボブ・ディラン」の表現では、次の通りです。
僕はメシヤに会い 僕もメシヤになり
君が僕に出会えば 君もメシヤになる
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これを書きながら、今まで、3人の王が疎遠だったことを反省しました。
(私は、地元のプロテスタント教会に気を取られていました。)
今後の活動を少し修正したいと思います。
(お問い合わせ先:メール sanctuary.saitama@gmail.com
電話番号 堀勇一070-6670-5334 堀久子070-6637-7424 )
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