埼玉サンクチュアリ教会(日本サンクチュアリ協会 埼玉教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、真の御父様・亨進様・国進様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

「御父様の叱責」による「悔い」 4月19日亨進様の韓国語礼拝等から

4月19日亨進様の韓国語礼拝の翻訳・掲載に感謝申し上げます。


前回の当ブログで、「御父様の再臨」について書きました。
亨進様が韓国語を使われる時に、それが強まると言われています。

私たち聖殿の食口たちは、皆さんの権利、皆さんの自由がないということなのです。 え?楽に米国にいる。

韓国の食口たちは震え、震えながらも今、核戦争の直前にもなり得るので出て行って毎週ごとに戦いながら「どうか神様私たちの声聞いてください。」と言いながら国のために戦っているのに。

皆さんは安全の中で二代王カインとアベルと一緒に住むことができるのに責任を持とうとしない。

え?

「皆さんの権利、皆さんの自由がない」
普段の「自由と責任」とは次元の違う御言葉です。
御父様の「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」の次元です。


この「叱責」の背景を推測してみます。
直前には、女性に対する御言葉を語られていました。

それでは、女性たちは、どうして男たちはそのように死んで死んでも生命を捧げて私たちを保護しなければならないと思いますか? 皆さんはなぜ死なないのですか?

それは無責任な考え方なのです!皆さんは人を愛していないという言葉なのです!

本当に人を愛するならば皆さんも死ななければならないという…死ねことができる考え方がなければならないのです。 それが本当の男、女なのです。

女性に関する話を遡っていくと、次の御言葉もあります。

私の妻も自分の銃所有免許証もあるのに、銃を一週間に一度訓練しましたが、その次に一週間に二度訓練しようとしましたが、今は一週間一週間、計画するのですがその計画通りに実行できなくなりました。

女性たちの考え方が問題です。 皆さんは常に他の人がしてくれる事を期待します。 それは間違いです。

推測すると、ここらへんに「近因」があるのではないかと思います。
しかし、それはそれとして、より普遍的にとらえるべきだと考えます。
つまり、皆に当てはまる叱責、自分への叱責だと考えます。


冒頭の御言葉の続きを引用します。

皆さんは一番たくさん天一国文化を実践することができる祝福受けたところにいるのに。 その内容と考え方と文化内容を受け継ぎ、天一国のための国々や世界に向けた人にならなければならなにのに、それを避け続け自分たちの安らかさだけを考えている、何をしているか?

ここにいるミクロコスモスは皆さんにこのような機会を通して、このミクロコスモス通じて、韓国の人々に実体的な内容を見せ、実体的な条件立てて、実体的な精誠を捧げることができるのに、そのような精神もなく、考えもせず、ん?平和軍警察は単なる減量運動ではない。(しばし笑われる)

「神の日」にも、亨進様が冗談を言われました。
天一国憲法を配布しなかった叱責をされながら、「長時間の御言葉で、お腹が空いて、食べ物のことを考えているでしょう」と言って、いろいろな食べ物を列挙されました。
「怒りを隠すための笑い」だと、その時も感じました。
以前、御父様が長い溜息を吐くのを見て、「怒りを抑えておられる」と感じたことを思い出しました。


「聖霊大学」では、インターネットのテレビ会議システムを通して、アメリカと韓国に在住する日本食口と交流できました。
韓国に在住する食口の深刻さと比べて、深刻さが足りない自分を感じました。
それを感じたのが4月15日でしたが、翌週22日は、29日同様、都合で欠席しました。
遅ればせながら、22日の御言葉「神様の祝福の最大の願いとは何か」(一九六〇年四月二十四日 韓国前本部教会 『文鮮明先生み言選集第九巻』)から引用します。

私たちは希望で築いた祭壇の前に、祭事をしても足らなさを知る姿勢をもたなければならないのです。そのような姿勢が、天の民が取る姿勢です。精誠をすべて尽くしても、「ああ、これはこのようにすれば良かった」という悔いと、悟りのない人は押し出されます。深い神様の心情の世界には入っていけないというのです。神様の心情の門を開けて、天上天下のあらゆる財宝を動かすことはできないのです。神様はそういう悔いと、悟りのある息子と娘が、この地上に現れることを期待していらっしゃいます。

(253)

「知」と「意」が強い自分は、本当に「悔い」が足りません。
ダビデの「悔い」を引用して終わります。

わたしは自分のとがを知っています。わたしの罪はいつもわたしの前にあります。

(詩篇/ 051篇 003節)

神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。

(詩篇/ 051篇 010節)

神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心を/かろしめられません。

(詩篇/ 051篇 017節)



(お問い合わせ先:メール sanctuary.saitama@gmail.com
         電話番号 堀勇一070-6670-5334 堀久子070-6637-7424 )
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