「人の歩みは主によって定められる。主はその行く道を喜ばれる。」
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
さあ今日は、詩篇37篇。37篇を見ましょう。
‥‥
ダビデの歌
‥‥
37:18主は全き者のもろもろの日を知られる。彼らの嗣業はとこしえに続く。
‥‥
37:23人の歩みは主によって定められる。主はその行く道を喜ばれる。
関係
関係は恐ろしいのだ。関係を間違えば、その人の未来と力まで殺してしまう。
お父さん、お母さんを望んでいる。その関係を求めているのだ。
でも、それをずっとやらずに、やらずに、やらずにいると、子供たちは10代20代になると求めるのをやめてしまう。放棄してしまう。そうしてお父さんお母さんとは分離した生き方をするようになる。何故か、その関係からは否定的な関係しか得られないから。これじゃ駄目だろ。
お前の横にいるから、お前はそのような才能や能力があるから、子供たちに自動的に分けるようになる。子供と一緒にやるようになる。いやあ、孫たちも一緒に。
関係、関係、関係だ。我々が死ぬときにその関係が一番重要なのだ。神様との関係、そして我々が皆望むもの、我々のすべての子供たちが神様に侍り、隣人を保護する、そのような平和軍警察としての生き方、そのように責任感のある生き方、一生懸命挑戦する生き方、悪いものと一生懸命に闘う生き方、子供たちと共に、そのような道に、サタンと闘いより多くの市民の人を解放し、天一国憲法を通して、より多くの市民が自由を得ることが出来る、そのような内容で我々は驚くべき摂理の内容に同参することが出来るのだ、我々よりも遥かに広く深く高い内容を含むのだ。
訓練
訓練しなければならない。訓練してこそ、難しいことも出来てこそ、後生遺伝子も開き、その後生遺伝子が開きながら、私達に見えなかった1段階をパン!と、新しいレベルに上がることが出来るのだ。
訓練は辛い。訓練はしたくない。言い訳をしたい。でも…。そんな思いが湧いてきても、ただ(訓練)するんだよ。とにかくやれば、訓練が終わった後には気持ちが良いか?良くないか?良いじゃないか!
ああ、辛いことをやり終えた!何かをやり遂げたという事を得られるではないか!そうだろ。それがどれほど重要か。それがどれほど重要か。