群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

④証の原稿「サタン世界から、ひきこもっているような私に、神様が目をつけた可能性があると思います。」


過ぎてみれば愛であった


(母)
話を、私の生い立ちに戻します。
名前以外にも、母の影響を受けたことがあります。
幼い頃、虫の蛾が飛んでくると、「先祖が来た」「お前が良い子にしているか見に来た」と言いました。
また、私の成績が良いのを見て、「お前は、死んだ私の妹に似ている。」と言いました。
これらのことから、霊界の影響を意識するようになりました。


(幼稚園時代)
私は、口数が少なく、母は「自閉症」を疑って、一度診察したようです。
自分でも自覚していることは、家で物置部屋に入って、独りでじっとしていることが好きでした。
家庭連合の周藤さんの講義で、神様はサタン世界の落ちこぼれの「アベル」を探す、ということを聞きました。
サタン世界から、ひきこもっているような私に、神様が目をつけた可能性があると思います。


(小学校時代)
私は跳び箱が苦手でした。
雨の日の体育は、室内で跳び箱になるのが嫌でした。
そこで、雨が降らないように、前の日にお祈りしました。
それが私の最初のお祈りでした。
しかし、それより成長すると、お祈りをしなくなりました。
子供の切実さが無くなったのかも知れません。
しかし、神様の記憶に残った可能性があります。



「呼び求める者は誰でも救われる」

③証の原稿「私生活において、たくさん失敗したと思います。」

(命名)
私が生まれて、お湯につかった後、バスタオルを握りしめていて、看護師さんがそれを外すと、ギャーッと泣き、「臆病な子だね」と言われたそうです。
それを聞いていた母が、「臆病な子になっては困る」と思って提案した名前が通り、「勇一」となりました。

(失敗)
それを聞かされて育った私は、恐怖心を感じても、むしろ逆に、突っ走ってしまう傾向があります。
恐怖心は、本心・良心が警告している場合もあると思います。
ですから恐怖心に逆らうと、失敗する場合もあります。
私生活において、たくさん失敗したと思います。

(仕事)
宗教を信じること、統一教会に入ること、サンクチュアリ教会に移ること、これらのことは、そもそも恐怖心を感じませんでした。
しかし、今日の説教を引き受けることや、日本サンクチュアリ協会で様々な仕事を引き受けることは、恐怖心を感じます。
しかし、それを理由にお断りすることは無いようにしています。
最小限、一時的にせよ、穴埋めのお役に立てれば幸いです。
いざという時には、江利川会長が適切に人事して下さると信じています。


「呼び求める者は誰でも救われる」

②証の原稿「私は既成家庭であり、再祝福家庭でもあります。」


過ぎてみれば愛であった


(短い)
訓読の御言葉は、他の礼拝よりも、短い方だったと思います。
これからするお話しも、短いと思いますので、あらかじめ予告させて頂きます。


(タイトル)
タイトルは、御父様の御言葉です。
それを読んだのは、私が伝道されてまもなく、頂いた雑誌です。
御父様が40年の荒野路程を終えて、1985年に出版された、新天地の特別号のようなものでした。
私が伝道されたのは1990年ですから、5年前のものを頂いたわけです。
貴重なものでしたが、引っ越しなどで失くしてしまいました。
ともかく、それ以来、記憶に残っています。
素晴らしい言葉ですが、御父様だからこそ言えるものだと思っていました。
1985年は、御父様が満65歳でした。
私も今年65歳です。
今回、この説教の準備をしていて、そのことに気づきました。
そして、自分も、このタイトルを使わなければならないと思いました。
それは自分を誇るためでなく、神様を誇るためです。
私のようなものも愛して下さった神様の証しです。


(権事務次長)
6月に、権事務次長の証しは、大変感動的でした。
「神様」という原点に帰ることの大切さを学びました。
権事務次長は、二世ですから、そもそも存在の原点が神様だったわけです。
それでも、神様との関係を再確認する路程が、感動的でした。


(一世)
私のような一世は、出発がサタンの血統です。
さらに私は既成家庭であり、再祝福家庭でもあります。
そこから、神様によって、宗教、統一教会、御父様、祝福、そして今では、三代王権まで導かれました。
そのことだけでも奇跡的な恵みですが、ふだんは忘れています。
この機会に、それを振り返りたいと思います。



「呼び求める者は誰でも救われる」