玉木円四郎さんのコメントに感謝しながら、井田講師の説教のネタバレ - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
から自分の言葉を引用します。
「60(歳)以上」を理由に、「楽をする」ことを考えながらも、「それではいけない」という良心の呵責も感じていたところでした。
大きな原因は会長のリマでした。
(これは、その後、大陸会長会議の報告資料でも引用されたことを知りました。)
2021年8月25日
天基12 年天暦7月18日
おはようございます😃
今朝のリマです。
「神の苦しみ(心配)を避けて自己の安楽を求める者は必要ない。必要のない数十人よりも、必要な一人がもっと大切である。」
(み旨の道 み旨より)
そして、個人の訓読でも、次の御言葉と出会いました。
第39回真の神の日の敬拝式及び記念式(1) : 文鮮明先生말씀選集
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
皆さんが知らなければならないことは・・・。(咳をされる)アイゴ、申し訳ない。大衆がいくら集まったとしても天と共に生きることができる人が何人いるのかということが、この大衆評価の基準だということを皆さんが知らなければならない。それがどういう言葉かわかるか?千人万人集まっても天がこの時代に必要とできる人を願って来たという時、そのような人がいないようになる時はこのすべての聴衆はいいや集まったことよりもできないというのだ。
第39回真の神の日の敬拝式及び記念式(8) : 文鮮明先生말씀選集
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
ここに遊びに来なかっただろう?「はい。」うん?「はい。」何しに来た?神様を解放してあげ、先生を解放し、国を解放し、この世界を解放して天国に連れて行こうという奴らではないのか?そうか、そうでないか?「そうです。」そうたりうることは死生決断の上で繰り広げられるのだ。
今回先生が出る時、死生決断して出た。ある所まで行って韓国に行くのか?戻る道が、韓国が千里遠征はるかに遠い夢の国、あの国、霧の雲に積まれた国のように考えながら現在に死なない遊びをしてみるとここまで来た。落胆すれば反対になる。私がよく知る。