から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
1.王と王妃の責任
自分たちが自分のアイデンティティを理解することが重要です。神様が私たちを王と王妃に変えてくださった。とても高い基準の。
自分の行動によってではなく、自分の存在そのもので愛を受けて、自分たちも王と牧師になれる。これには責任もついてきます。ただ称号だけもらえるものではなく、責任がついてきます。
次の過去記事があります。
「その手によって皆さんに対しても王冠をくださったのです。」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
そこから引用します。
最近、江利川会長の礼拝でも、群馬教会の礼拝でも、「王権復帰」の話が出ました。
「王権復帰」と言えば、「長子権復帰」「父母権復帰」とセットで語られます。
2月20日の日曜礼拝でも、井田講師が語られました。
共産主義は、キリスト教の不足を讒訴する。
カインは、アベルに対して許しが無い。
これは、アベルである氏族メシヤの立場を比喩するものでした。
私は、次の過去記事を思い出しました。
そこから引用します。
「カイン」とみなされた人も、「心情不足」とみなされた人も、気分が悪ければ、これを書いた私の責任です。
アベルは、「父母の代身」だと思います。
すると、カインは「子ども」のようなものです。
「子ども」とみなされた人が、下記を読んで気分が悪ければ、話の流れを作った私の責任です。
2.子どもへの接し方
子どもがギャーとあなたに叫ぶことはイライラすることであり、ストレスになることなので。親のみなさんは分かると思いますが、子どもがあなたに向かってギャーと叫んで、叫び声がどんどん高くなって。最初はうーうーでも、最終的にはギャーと叫び声が高くなっていく。
ポイントは、親がどうそれに反応するかです。もしあなたが反論的になり、あれをするな!これをするな!って感情的に叫んでしまったことは、子どもは覚えています。聖書の中にも舌の先に力があると書かれてあるように。おじいちゃんおばあちゃんは悪い言葉を使っちゃいけないと言いますよね。何回も何回もそのような内容を言ったら呪われてしまいますから。ですから、あーこの子はバカだ!って、ああだこうだと言ったら、子供がそれを信じ始めます。そしてそのような自分がバカであるかのような態度をもっと取るようになります。
ですから、私たちの舌がどのような生と死を生むか気をつけなければいけません。皆が気をつけなければいけないことです。現実世界の中、日曜礼拝の中だけでなく、悪魔が入り込みやすい時、子供がおかしな行動をとっていたら。そのような舌の筋肉をトレーニングしないといけないのです。それは重要な能力です。
誰かが急に家族のメンバーを殴ったりすることはできませんが、誰かが言論の自由を使っているのであれば、使わせてあげる。鉄杖祭でも、誰かが言論の自由を叫んだりしていたら水を与えて、どんどんやっていい、ただし他の人に手を挙げるな、と言います。私のことをカルトリーダーだとか、ああだこうだと言ってもいいけど、他の人を傷つけたりしてはいけない。
赤ちゃんは3、4分とか5分とか泣いて、あとで疲れて、泣き叫んでも何も得ることがないと学ぶ、それに気付き始める。ですから感情的に個人的にそれを親が受け取るのではなく、反応をしない。
子どもがあなたを限界突破まで刺激して、叩いちゃいたいと思ってしまうかもしれません。でも家でお父さんは感情的に反応しない。あなたはまだ赤ん坊で、おかしな行動をするのが普通だからと。