群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

「神は結婚のために性を創造されました。」

Tadashi Igarashi: 「怒るのが遅い 偉大な力 」サンクチャリー教会聖日礼拝 2022年8月21日

から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)


神は結婚のために性を創造されました。

神は結婚のために性を創造されました。夫婦を結びつけ、二人が一つの肉となり、心、精神、体が一つになって、神に仕え、崇拝できる一つの存在になるために創造されたのです。そして、健康な子供のためのマトリックスとなり、フレームワークとなり、ベースとなり、土台となるのです。健康な子供たちは、両親が力強い愛とロマンスと親密さで愛情深い関係にあるのを見て、結婚というものの将来に希望を抱くようになります。

聖書では姦淫は婚外交渉のことであり、罪であるととらえています。姦淫者は神の王国を正しく継承することさえできないのです。あるいはまた、そのリストには、同性愛者、姦淫者、嘘つきなどが入っています。だから、すべてのリストがありますが、それでも姦淫は重大な罪です。


本然の道とカイン世界克復(1) : 文鮮明先生말씀選集


本然の道とカイン世界克復(2) : 文鮮明先生말씀選集


牧会者の道1-第1章 神様と南北統一 : 文鮮明先生말씀選集

から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)


情欲を克服しなければならない。

 良心を訪ねなければならない。私の心、お母さんお父さんの良心、おじいさんの良心、良心、良心、良心の大王が誰か?神様です。アダムエバが良心の大王になりえない。神様と一つになれなかったのでは?簡単なことだ。


 良心をもって何から故障が生じたのかと言えば、生殖器だ。生殖器を守ることができなかった。暮らしの良い人たちがそうか、そうでないのか?一生涯そのように生きた。天国に行けないのだ。

 皆さんが祈祷をするとか何をするようになれば必ずこの体が中心に極反対の存在が来て主人になっているのだ。目を開けて見れば体に美人が来てくっついて首を抱いて口を合わせようとする。堕落した体は百発百中そこに動いて行くのだ。それまで克服しなければならない。どこまで行かなければならないのか?神様の息子娘であれば体心が争う根源に行かなければならない。それが情欲と一致がなっている。情欲を克服しなければならない。分かるか?

 男たちが天使長の体に間違いないと言うのだ。朝によく食べてよく気を付けて着て、出るようになればその目には他のものが見えない。どこであれ美しい女の人がおれば目が女の人に行くのだ。雑種の種、どうか?今もそうだろう?「はい。」それを無くさなければならないのだ。


次の過去記事があります。

「私たちがいったいどれほど、誘惑されているでしょうか?」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)


祈り:堕落前の本然の形状を備えることができるように

 心に傷を受けた私がいるでしようか?哀れみ恵んでください!体にサタンにつかまれた痕跡が残っていますか?それを制してください!そうして堕落前の本然の形状を備えることができるようにお許しくださることを愛のアボニム、懇切に願ってやみません。


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真のお父様に帰ろう!サンクチュアリ教会『三代王権天一聖殿』: LIVE: 天地人真の御父母様天宙完成祝福聖婚式5周年 基元節7周年 2022年8月30日(天基13年天暦8月4日)

御言訓読 御言選集53巻80~83ページ 1972年2月10日 翻訳提供:江利川大陸会長

から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)

 このように、木の下で私たちの先祖が不倫の愛の関係をまいておいたので、この世界の秋の絶頂、すなわち終わりの日になるときは、このような悲劇的な不倫の貞操関係を木の下で結ぶ現象が、世界的に起こるようになります。そのようなときになれば、終わりの日であることを皆さんは知らなければなりません。終わりの日には、悪として植えたものはすべて刈り取って処断しなければなりません。


 終わりの日は何の終わりの日なのか? 善の終わりの日ではなく、悪の終わりの日を意味するのです。

「体心が一つになることを知るようになれば不幸になりえない」

本然の道とカイン世界克復(1) : 文鮮明先生말씀選集


本然の道とカイン世界克復(2) : 文鮮明先生말씀選集

から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)


良心が愛と一つになって完全な霊的地的、地上天国天上天国の永遠なプラスの立場に立たなければならない

さ、我々の訓読会をしよう。(『天聖経』 ‘人間の生と霊魂の世界’ 編 ‘第1章

 『・・・・・・サタンは遠い所にいるのではありません。自分と共に連結されています。自分というのは天国と地獄の境界になるのです。自分に地獄があり自分に天国があります。良心は天国、地獄は肉身です。良心は主体であるにもかかわらず堕落したために・・・。愛によって良心が愛と一つになって完全な霊的地的、地上天国天上天国の永遠なプラスの立場に立たなければならないのです。

 『・・・・・・すべての人間は各々自身の中に最も貴重な師を一生涯われわれを初めから終わりまで維持しています。にもかかわらずその師を間違って待遇し踏みにじって乱用します。その師がまさに人間の良心です。我々の良心は常に我々自身に助けになるように言葉をし、真の愛と連結させてあげようとします。父母のように我々の良心は我々をして善で非利己的な人になれと促し、神様のみ旨に従って行動するように導いてくれます。』


神様も良心を中心に体を育てて来た

 良心は神様より先立っているのだ。その次に良心は師よりも先っており、良心は父母よりも先立っているのだ。創造する前から神様の前にあった体と心が一つになったのだ。だから本来良心は、神様も育ってきたと言うのだ。神様も良心を中心に体を育てて来たのだ。だから良心が神様よりも、出生する前から良心があり、学ぶ前からあり、その次に主人になる前から主人になったのだ。


 そのために良心は体が間違うようになればいくら夜中であっても‘この野郎、するな。’と言うのだ。悪いことをしようとすればすでに良心の呵責を受けると言うこと!死んだ神様が生きて来て、死んだ師が生きて来て、死んだ父母が生きて来るのだ。だから良心が願う通りせざるを得ないのだ。これを知らなかった。

 そのために皆さんが考えなければならない。良心は神様よりも先にあった!神様も体心があれば良心が先にあって体を育ててきた。だからそのような原則で本来の私の良心は神様よりも先にあらねばならないし、生まれる前からあった。父母よりも先だってあったし、学ぶ前にあった。


体心が一つになることを知るようになれば不幸になりえない

体と争う場には神様が現れることができない。

体心が一つになることを知るようになれば不幸になりえない

そこで二つが一つになれば神様の場にスーッと上がる。

良心以下を中心に間接になり、良心以上として直接主管圏!責任を果たせなかったことが何かと言えば、直接主管圏内において何か?何をできなかったと?責任分担をできなかった。責任分担と言うのが良心が願う基準において神様の祝福を、神様の体心が一つになったものを受けなければならない。


 必ず霊肉が一つになって愛してそのままその通り伝授されたとすればと言うことであり、神様が似るなと言っても似るのだ。

結婚する時は韓国の風習が‘女が飢えないのか?’と一番先に尋ねる?飢えることは何故飢えるのか?良心が飢えません。すでに良心はどこに行けば食べると言うことがわかる。足がわかる。


次の過去記事があります。

「未来に対して心配ない。」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)


「自分たちは大きな目的のある者たちだ」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

「人類のために天の協助を願って叫べばその通りなる。」

天宙平和連合と天地父母王国(9、完) : 文鮮明先生말씀選集

から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)


人類のために天の協助を願って叫べばその通りなる。

今は後天時代の天運によってドンと意気消沈した、世の中が。敢えて何はむかうこともできません。


 合う言葉だ。死んだので‘生きなさい’と言えば生きる。死んだとすれば生かす以外にないじゃないか?人類のために天の協助を願って叫べばその通りなる。生きなさいと言えば生きる。


決心的な、母体になる自分の将来の計画的な標準を中心にずーっと続けて動かなければならない

 今回日本に戻ってするようになれば、1人1人が数か月間にこれこれの責任をしたと責任記録をすればよいのだ。日本に行くことを全部すべてして、「はい、わかりました。」そう、祈祷し精誠を込めて目標を定めなければならない。それを超過完成しなければならないと言う召命をして、そうであれば発展する。


 自分の計画案通り5人であれば5人したとすれば・・・。これがこのように行ってまた戻るじゃないか、何倍か?そうすればこれが発展するのだ。一次だけこれを経ることができるこのような記録を持って活動できると言うことが戻る皆さんの心の深層に誰でなく一人で天と約束して自主的な決心を抱きしめて行かなければならないだろう!その決心がどれほど強いのかによってその結果は、異国の地でなく日本人は自分の国であり、韓国人は異国の地に植えた実の価値が、外国人によって植えられたその実の価値が自分の本国の人が植えたものよりも輝くことができるために・・・。何故?精誠を多く尽くした差異が現れるのだ。


 先生はそのように考えるので精誠の結果が誰が大きいのかということを記録を残すことができる決心的な、母体になる自分の将来の計画的な標準を中心にずーっと続けて動かなければならないと言うのだ。分かるか?「はい。」それではそのようなみ旨を抱いて行く人の前に天の福あることを先生は祈祷してあげ希望を持って眺めるでしよう!‘アーメン!’と言えるのだ。「アーメン!」(敬拝)さ、皆さん行ってらっしゃい。


次の過去記事があります。

「今までの私と異なった新しい時代の他の姿として出発する」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)