苦手なこと 「路傍訓練」「訓戒」
1.路傍訓練
言い訳ですが、「家庭教会」に関する御言葉の中で、「通り過ぎてしまう人を相手にする路傍伝道の時代は終わった」という趣旨を読んだ後(それは実に最初の頃ですが)、「訓練」とは言え、「やる気」が起きないままです。
下記は、日本であれば、「真光」などから、「手かざし」の申し出を受けたことを思い出します。
御言葉とは言え、実践する気にならないことを告白します。
(反面教師希望です。)
サタンの王国から神の王国に-11月25日英語説教(その4最終回)から引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
一回限りのチャンスです。その人に触れなさいと神様がいわれる。ひょっとして自殺しようとしている人、何か深刻な危機に陥っている人かもしれません。色々な場合があるでしょう。だから神様の御心に敏感になって、神様が祈れというとき、「あなたのために祈ってもいいですか」というのです。「おかしなことと思われるかもしれませんが祈らせてください」と。
私たちはよく、ウェグマンやサムズ・クラブ(どちらもスーパーマーケット)に行って、普通に歩いている人に「すみません、あなたのために祈らせてもらってもいいですか」と声をかけたものです。「ええ、いいですよ」とたいていは応えました。「何について祈りましょうか」と聞くと「子供たちのために・・」、「もうすぐ手術受けるんだけど・・・」など様々でした。そしてその場で祈りました。見返りなど何も求めていません。神様の訓練でしたから神様の願った通りのことが結果として出るのです。
2.訓戒
8月31日の当ブログ、十一条に関する「懺悔」で書きました。
「しないようにしろ」とは言っていませんが、あまり「しろ」とも言いませんでした。
「言うまでもないこと」と思っていました。
11月10日の当ブログ、改めて「自由と責任」 「教会長」としての懺悔で書きました。
メンバーの「自由と責任」に頼ることを、自分の「自由と責任」にしてしまいました。
これらも「言い訳」で、次のような、ヨナ王妃の証こそ「真実」です。
恐れを克服する絶対性家庭の聖霊武道 <全編>18年11月21日 韓国語説教 文亨進二代王 から引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
いつも食口たちをみると、女性の食口から相談を受けるのですが、相談を受けてみると事実そうです。ほとんどの場合、その方も問題を知っており、私も問題を知っています。二人とも自分がどんな問題を抱えているのか知っています。知っているのですが、女性にとって重要なのは、お互い傷つけないようにしながら、アドバイスをするのが重要でしょう?教会長夫人としては。そうしていると、別に助けにもならずに、いいことだけ言って終わる場合が多いでしょう?私も訓練をする前は、そういうことが多かったように思います。訓練をしながら、私がよかろうと悪かろうと一番重要なことは、この人を助けてあげ、神様のみ言葉によって、その人が生まれ変わるのが重要でしょう?だから、私の言葉ではなく、み言葉でその人を審判するのではなく、愛をもって誠実に、
二代王様:もっと強く言う。そういうことでしょう?
王妃様:もっと強く言ってあげることもあります。その人が、嫌な気持ちになったのなら、もう少し、見守ってあげられる余裕もできます。なぜならそれが、合っていることならば、その方はかわるということじゃないですか?神様のみ言葉だから。その人が万一嫌な気持ちになったとしたら、最近私もそのようなことを経験したのですが、ある人にちょっと言いづらいことを言いました。「息子をあまり愛してはいけない。難しい状況にあったとしても、あまり愛するのではなく、息子は祝福を受けなきゃいけないでしょう?そのように息子を守ってばかりでどうするのか。」と、はっきりと言いました。とても辛そうでした。私を見ると避けて通るし。
そうだったのですが、そのようなことを言いつつ、3週間後にまた来て、私と話をしながら、とても感謝していますと言っていました。なので、そのようなことを経験しながら、昔は、周りの人が私を怖がるかもしれないと思って、真実を言えないことが多かったです。私のイメージ、その人との関係が、神様のみ言葉や、真実より重要だったのですが、私が、平和軍平和警察の訓練をしながら、大きく生まれ変わったという気がします。生まれ変わり、また、自分の力ではできないことでしょう?
私も「訓練」が必要だということです。
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