「祝福」を考える聖句 コリント人への第一の手紙から
1.原罪清算
コリント人への第一の手紙/ 06章 19~20節
あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。
あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。
コリント人への第一の手紙/ 07章 14節
なぜなら、不信者の夫は妻によってきよめられており、また、不信者の妻も夫によってきよめられているからである。もしそうでなければ、あなたがたの子は汚れていることになるが、実際はきよいではないか。
上記2つの両方を合わせて、原理講論36~37頁と比較します。
イエスの十字架の代贖によって、明らかに救いを受けたと信じている人々であっても、有史以来、一人として、救い主の贖罪を必要とせずに天国へ行けるような罪のない子女を生むことができなかったという事実は、彼らが重生した以後においても、それ以前と同じく、原罪が、その子孫にそのまま遺伝されているという、有力な証拠とならざるを得ないのではなかろうか。このような実証的な事実を見るとき、十字架の代贖の限界は果たしてどのくらいまでなのかということが、大きな問題とならざるを得ない。事実、イエス以後二〇〇〇年にわたるキリスト教の歴史の期間を通じて、イエスの十字架の血によって完全に赦罪することができたと自負してきた信徒たちの数は、数え尽くせないほど多かった。しかし実際には、罪のない個人も、罪のない家庭も、罪のない社会も、一度たりとも存在したことはなかったのである。
「原罪清算ができていない」
はたしてクリスチャンが、どう考えているのか、まだ知りません。
これに関しては、やはり次の聖句が必要です。
ローマ人への手紙/ 08章 23節
それだけではなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。
2.第二祝福
コリント人への第一の手紙/ 07章 01節~02
さて、あなたがたが書いてよこした事について答えると、男子は婦人にふれないがよい。
しかし、不品行に陥ることのないために、男子はそれぞれ自分の妻を持ち、婦人もそれぞれ自分の夫を持つがよい。
コリント人への第一の手紙/ 07章 08~09節
次に、未婚者たちとやもめたちとに言うが、わたしのように、ひとりでおれば、それがいちばんよい。
しかし、もし自制することができないなら、結婚するがよい。情の燃えるよりは、結婚する方が、よいからである。
原理講論64頁から引用します。
神はアダムとエバを創造なさったのち、生育せよ、繁殖せよ、万物世界を主管せよ(創一・28)と言われたのである。この三大祝福のみ言に従って、人間が神の国、すなわち天国をつくって喜ぶとき、神もそれを御覧になって、一層喜ばれるということはいうまでもない。
これもクリスチャンが、どう考えているか、まだ知りません。
3.絶対性
コリント人への第一の手紙/ 07章 04節
妻は自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは夫である。夫も同様に自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは妻である。
平和メッセージ3から引用します。
皆様、人間は、男性も女性も独りでは半分の人間にすぎません。神様の創造がそのようになっています。それで神様は、愛の器官である生殖器の主人を、お互いに取り替えておいたのです。妻の生殖器の主人は夫であり、夫の生殖器の主人は妻だというのです。したがって、お互いに「ために生きる」真の愛を中心として一つになってこそ、相対の主人の位置に立つことができるのです。言い換えれば、人間は、誰彼を問わず、結婚を通して主人の位置を確保するときに、半分の人間ではない、完全な人間になるのです。
近い線です。
しかし、「生殖器の本当の主人は神様だ」というのは、クリスチャンに対して、言いづらいことです。
4.終末
コリント人への第一の手紙/ 07章 25~31節
おとめのことについては、わたしは主の命令を受けてはいないが、主のあわれみにより信任を受けている者として、意見を述べよう。
わたしはこう考える。現在迫っている危機のゆえに、人は現状にとどまっているがよい。
もし妻に結ばれているなら、解こうとするな。妻に結ばれていないなら、妻を迎えようとするな。
しかし、たとい結婚しても、罪を犯すのではない。また、おとめが結婚しても、罪を犯すのではない。ただ、それらの人々はその身に苦難を受けるであろう。わたしは、あなたがたを、それからのがれさせたいのだ。
兄弟たちよ。わたしの言うことを聞いてほしい。時は縮まっている。今からは妻のある者はないもののように、
泣く者は泣かないもののように、喜ぶ者は喜ばないもののように、買う者は持たないもののように、
世と交渉のある者は、それに深入りしないようにすべきである。なぜなら、この世の有様は過ぎ去るからである。
原理講論147頁から引用します。
このときは、今までキリスト教信徒たちが信じてきたように、天変地異が起こる恐怖の時代ではなく、創世以後、悠久なる歴史路程を通して、人類が唯一の希望としてこいねがってきた喜びの日が実現されるときなのである。
残念ながら、パウロの時には「終末」が来ませんでした。
「終末」の内容も予想と違いましたが、そのアドバイスは、ある意味で正しいものでした。
独身者は、できれば「善男善女の祝福」を受けられるように、そうでなくても「マッチング祝福」を受けられるように、「既成家庭としての苦難」を避けられるように、そして既婚者は、「聖別して既成祝福」に備えられるように、というアドバイスになり得ました。
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