何度でも「家庭連合の批判」 ヨハネによる福音書なう
ヨハネによる福音書/ 10章 04~05節
自分の羊をみな出してしまうと、彼は羊の先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、彼について行くのである。
ほかの人には、ついて行かないで逃げ去る。その人の声を知らないからである」。
家庭連合の人達は、平気で「ほかの人」について行きます。
御父様の「声」、御言葉や「原理」を、忘れてしまいました。
ヨハネによる福音書/ 10章 26節
あなたがたが信じないのは、わたしの羊でないからである。
イエス様とも、御父様とも、関係の無い群れになりました。
ヨハネによる福音書/ 12章 42~43節
しかし、役人たちの中にも、イエスを信じた者が多かったが、パリサイ人をはばかって、告白はしなかった。会堂から追い出されるのを恐れていたのである。
彼らは神のほまれよりも、人のほまれを好んだからである。
まさしく、家庭連合の人達のようです。
それとも、それ以前に、まだ真実に気づいていないのでしょうか?
ヨハネによる福音書/ 12章 44~45節
イエスは大声で言われた、「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなく、わたしをつかわされたかたを信じるのであり、
また、わたしを見る者は、わたしをつかわされたかたを見るのである。
韓氏オモニを通して、御父様を見ることができるのでしょうか?
むしろ「自己崇拝の先祖」、「年を経た蛇」が見えないでしょうか?
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