「あなたがたの目は見ているから、さいわいである」 マタイによる福音書なう
1.願望実現
マタイによる福音書/ 20章 32節~34節
イエスは立ちどまり、彼らを呼んで言われた、「わたしに何をしてほしいのか」。
彼らは言った、「主よ、目をあけていただくことです」。
イエスは深くあわれんで、彼らの目にさわられた。すると彼らは、たちまち見えるようになり、イエスに従って行った。
肉体的に「目が見える」ことは、感謝すべきことです。
「眼鏡が買える」ことも、そうです。
もしも、今後も、それを維持できれば、ありがたいことです。
2.伝道
マタイによる福音書/ 13章 15節~17節
この民の心は鈍くなり、その耳は聞えにくく、その目は閉じている。それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、悔い改めていやされることがないためである』。
しかし、あなたがたの目は見ており、耳は聞いているから、さいわいである。
あなたがたによく言っておく。多くの預言者や義人は、あなたがたの見ていることを見ようと熱心に願ったが、見ることができず、またあなたがたの聞いていることを聞こうとしたが、聞けなかったのである。
マタイによる福音書/ 19章 17節~19節
イエスは言われた、「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。よいかたはただひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」。
彼は言った、「どのいましめですか」。イエスは言われた、「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。
父と母とを敬え』。また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」。
さらに、霊的に「目が見える」ことは、感謝すべきことです。
まず「父と母」も、そして「隣り人」も、社会にいる「多くの預言者や義人」も、「目が見える」ようにしてあげられるように、努力しなければならないと思います。
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