「マスターベーションは、堕落ではない」
松下 正寿(まつした まさとし、1901年4月14日 - 1986年12月24日。日本の政治家、国際政治学者、弁護士。立教大学総長、参議院議員(1期)を歴任した。)氏は、御父様を証しする本、「文鮮明 人と思想」(善本社、1984年5月)を書きました。
その中で、今回のタイトルのようなことを悟って「解放」されることによって、逆に、「その悪習慣から抜け出した」という、著者のエピソードがありました。
(それを告白する「純粋さ」に脱帽しました。)
タイトルは、そのような「良い結果」を願う目的です。
同時に、「王の裁定」について、日本サンクチュアリ協会の会議の「情報共有」でもあります。
そういう「疑問」への回答です。
関連して、「性欲」自体は「悪」ではない、と説明されました。
原理講論118頁を思い出します。
我々が、往々にして罪であると考えるところの欲望なるものは、元来、神より賦与された創造本性である。なぜなら、創造目的は喜びにあるのであり、喜びは欲望を満たすときに感ずるものだからである。したがって、もし人間に欲望がないとすれば、そこには同時に喜びもあり得ないということになるのである。そうして欲望がないとすれば、神の愛を受けようとする欲望も、生きようとする欲望も、善を行おうとする欲望も、発展しようとする欲望もないということであるから、神の創造目的も、復帰摂理も、達成することができず、人間社会の維持とその発展もあり得ないのである。
このように、本来の欲望は創造本性であるがゆえに、この性稟が神のみ意を目的として結果を結ぶならば、善となるのである。しかし、これと反対に、サタンの目的を中心としてその結果を結べば悪となるのである。
「マスターベーション」は「悪」ではあっても、「堕落」ではありません。
文鮮明先生말씀選集の、真の父母は神様の体(2) (1)から引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
さ、我々も故障が出た。故障が出た。レバレント・ムーンがこの位置まで出るためにはどのようにしたのか? 体、心が争う場では天の道を行くことが出来ない。開拓、革命的だ。そのような過程を経たのだ。
御父様も、「過程を経た」というのが印象的です。
5月1日の当ブログで引用した、史吉子氏の「原理に関するみ言の証」を、もう一度、引用します。
お父様は、モーセの血気に対して語られながら、「私はあなたたちと同じ人間だが、あなたたちと違う点が二つある。
一つは自分を中心とした欲を克服したことであり、もう一つは自分を中心とした血気を克服したことである。
5月17日の当ブログから引用します。
真のお父様が性に弱かったという言葉は、本当に大変な侮辱です。
真のお父様は肉体を完全に統制することができました。
原理本体論から引用します。
アダムがもつ生殖器の主人はエバである。
エバがもつ生殖器の主人はアダムである。
このように生殖器の主人を、原主人である神様から許されるのです。
それが祝福です。
「マスターベーション」は、「主人」のものを、「自己中心」に使うことです。
5月7日の当ブログから引用します。
日本女性が侵入して、裸で待っていたことがありました。
相手を怒らせれば、エジプトのヨセフのように、濡れぎぬを着せられる恐れもありました。
その時、御父様がどうされたか?
「本体論セミナー」でお聞き下さいませ。
これと比べれば、「マスターベーション」の「克服」は、容易なはずです。
生きたキリストと連結される銃器所有保守派達■亨進二代王■2018年5月16日水曜礼拝韓国語から引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
この女性がサササっと走りながらパンパンパンと(撃ったら)完全に映画のようです。言葉になりません。ジェド・ストラック、ところでインスタグラムに出ていますが、ビキニの写真をたくさん載せているので、若い男たちは見ないで下さい。
「若い男たち」とは限りません。
5月17日の当ブログから引用して終わります。
70代では、まだ「不安」だということです。
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