艱難=荒野=道場の心構え
キングスリポート12月29日(木)から引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
艱難
私は本当に、「艱難を喜んでいる。なぜなら、艱難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを知っているからである。」という、そのローマ書5章の段階を私は本当に経験しました。
2017年12月27日水曜礼拝「神様の王国の防御の権利」から引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
荒野
荒野はダバル、ヘブライ語でダバル、ダバはどこから来ますか。ミドゥバ、ミドゥバ、荒野はミドゥパとどこから来るのかダバから来ます。ダバが何か?神様の言葉という意味です。み言葉、荒野は神様の言葉を発見できるところです。氷点下11度、氷点下11度寒い荒野で神様の熱い言葉を発見することを祈願します。(拍手)
道場
神様を愛して隣人を愛せよ。そんな気持ちで道場に入って来なければなりません。この馬鹿たちよ。ああ今日、私が誰かに負けるか?私が誰に勝つだろうか。それではダメだよ。そうじゃないですか?
心配するより仕事をしなさい
明日を思いわずらわないで、今日、今日、今日懸命に仕事をしなさい働きなさい。それも、本当に驚くべき言葉です。そうでしょう?もちろん、未来のために準備しますが、狂ったように、狂ったように、自分が今日麻痺するまで心配するのではありません。
長期戦
また戦い、また休んで、また戦って、また休んで、また戦って、こんな感じです。だから、長い間、戦うことができる人!一つの戦いに、ウアー、と狂ったように戦って、すうっと力が抜けて疲れて死ぬ人ではなく、長い間戦って、また戦って、また戦って、また自分が、自分の心を回復させて戦って、このような人、このような性格がとても重要だそうです。
練達は何ですか?長く行くことができるという言葉です。一時的な爆発的な力ではありません。
希望は最初から出てきません。そうですか、そうではないですか?真なる深い希望は、そのような難しい内容を通じて、忍耐を通じて、通過。忍耐も通過しなけれならず、また練達も通過しなければならず、その後に、神様が希望の祝福を下さるのです。
自我を無くして
(讃美歌:「荒野を行く」を歌われる)
私の自我よ、粉々に砕けて、高くなろうとした私の夢も、神様の前に出しておいて、私の自我よ、粉々に砕けて、ただ主の意のみ行われることを、私を通じて神様が現れることを荒野に通りすぎて。拍手。(拍手)それ何?
私の自我が粉々に砕けて、皆さんも、「あ、私どうしよう、イギョンに負けた。私、ユナに負けた。あ、私どうして・・・。」とこのようにしますが、まだ自我があるのです。
ところでその黒帯になるためには1万回は負けなければなりません。本当に何万回以上も。だから負けることに対する絶望感、無惨depression(憂鬱)は初心者の内容です。これ。負けてもケガさえしなければいいのです。その日に負けたとしても、よくやったと思って、その人から学びながら、強くなることができます。
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