劉正玉会長の講話を読んで、思い出す聖句
9月29日の「シャボン玉のブログ」から劉会長の言葉を引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
アボニムが私に教えられた言葉が何かと言うと、「オモニムは今まで言われたことによく従って来たけれども、最後にアボニムを背信した」と言われました。
皆さんはアボニムと共にそういう時間をたくさん持つことができずに、直接聞くことはできなかったのですが、私はそういう話をたくさん聞きました。ですから、そういう話を今までみんな言うことができずに来ました。アボジが教えた内容を言えませんでした。私も三年の間、口を閉じていました。
思い出す聖句は、ヨハネによる福音書/ 05章 46節と47節です。
もし、あなたがたがモーセを信じたならば、わたしをも信じたであろう。モーセは、わたしについて書いたのである。
しかし、モーセの書いたものを信じないならば、どうしてわたしの言葉を信じるだろうか」。
私は、路傍の活動を除き、家庭連合の個々の食口に対する努力は、昨年12月の康御母様の声明文を知らせたのが最後です。
今回、劉会長の講話も良い材料ですが、次のように思います。
康御母様の書いたものを信じないならば、どうして劉会長の言葉を信じるだろうか。
9月29日の「シャボン玉のブログ」から、<9月25日キングスレポート チャット韓国語より翻訳>を引用します。
日曜日に真の父母様の聖婚をお祝いしながら劉正玉会長がお話しされましたが、本当に素晴らしかったです。お話しの中で、私はこの言葉が本当に胸に響きました。
神様の秩序は法統によってなされるのでない。
天の秩序は血統によってなされる。
法統は血統を保護するためにある。
二代王が称賛された部分を、9月30日の「シャボン玉のブログ」で確認します。
神様の摂理は法統ではありません。神様の摂理は血統です。血統を保護して守るために法が必要なのであり、その法を守るためのものが体制であり、(それで)全ての法が必要となるのです。
この「真理」を無視して、「法統」と「体制」を大切にする家庭連合の食口について、思い出す聖句は、次の通りです。
マタイによる福音書/ 15章 08節と09節
『この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。
人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』」。
マタイによる福音書/ 15章 13節
イエスは答えて言われた、「わたしの天の父がお植えにならなかったものは、みな抜き取られるであろう。
劉会長の言葉に戻ります。
お父様は私にこのようなお話をされました。
『今後行く道に多くの困難があるだろう。しかしその困難な中でも信仰を失ってしまってはいけない。今後、統一教食口たちが何人残るか私は見てみよう。』
私はその時その言葉を理解できませんでした。地球上に祝福家庭が数十万人なのに、何人残るかわからない?
今やそのようになっていっています。なってしまいました。
「天の父がお植えにならなかった」家庭連合の食口は、救うことができないようです。
それを確認した9月28日のキングズレポートから、もう一度引用して終わります。
私たちはこれ以上家庭連合を顧みない、家庭連合はもう呪われている、私達は家庭連合を顧みず前に進むでしょう。
後ろを振り返って塩の柱になってはいけません。
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