「キリストが審判しに来る終わりの時なのです」
9月22日の当ブログ「今はヨナの時ではありません」の続編です。
もう一度、9月17日の英語説教から引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
災難が起きるとき、目覚めた人たち、判断力を持っていて準備していた人たちにこびへつらうようになるのは、滑稽なことではないでしょうか。どのようにあなたに期待すると言うのでしょうか。私の世話をしなければならない、と。いいえ。そのようなことはありません。今はヨナの時ではありません。キリストが審判しに来る終わりの時なのです。
マタイによる福音書から引用します。
悔い改めよ、天国は近づいた
(3章1節と2節)
そのころ、バプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教を宣べて言った、 「悔い改めよ、天国は近づいた」。
良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ
(3章10節から12節)
斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ。
わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。
また、箕を手に持って、打ち場の麦をふるい分け、麦は倉に納め、からは消えない火で焼き捨てるであろう」。
悔い改めよ、天国は近づいた
(4章17節)
この時からイエスは教を宣べはじめて言われた、「悔い改めよ、天国は近づいた」。
耳にささやかれたことを、屋根の上で言いひろめよ
(10章26節から28節)
だから彼らを恐れるな。おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。
わたしが暗やみであなたがたに話すことを、明るみで言え。耳にささやかれたことを、屋根の上で言いひろめよ。
また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。
9月21日のキングズレポートから引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
生命の危機が置かれた状況で、自分が生き残らなければならないという本能は、動物と同じものなのです。
なので、事実サバイバルの精神だけでは、お互い傷つけ合ったり、非難する状況になることがあります。
しかし、我々が宗教のコミュニティとして、基本的な生存状況を一緒に準備して、一緒に苦しい状況を神様を中心に乗り越えて行こうとするなら、それはサバイバルを超え、結局はもっと長く生き残ることができるといいます。
それで、最も厳しい国家危機の状況で最も長く持ちこたえ、最も長くしっかりとまともな精神を持ち続けるコミュニティは宗教コミュニティだといいます。
「明るみで言え」「屋根の上で言いひろめよ」に従う、のぼり、およびチラシに、「宗教」を入れることは正しいと確認できました。
イエス・キリストの 「洗礼」を受けましょう
(お問い合わせ先:メール sanctuary.saitama@gmail.com
電話番号 堀勇一070-6670-5334 堀久子070-6637-7424 )
任命式の映像はこちら