「形式の中に、また自由がある」
8月31日のキングズレポートから引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
形式の中に、また自由があることもあります。
創意的に、即興的にすることが自由があると思うかも知れませんが、必ずしもそうではありません。
なぜなら、継続的に何かを作り出さないといけないから、それが圧迫の牢獄になることもあります。
しかし、たくさん訓練した形式と、茶道の手の動きと足の動きの中で、筋肉の記憶でもって、無心でこのように訓練することができます。
そして、そこには自由があります。
常に新しいものを創造しなければならないという圧迫の牢獄から解放されることができます。
上記は茶道の話です。
音楽家も同様です。
そもそも、歌手の場合、歌詞を変えることはしません。
既に最善の言葉を選んでいるからです。
歌詞を覚えて、あとは、いかに情感を表現するか、です。
私の場合、演説も同様です。
演説文を変えません。
私に限らず、他の仕事や、生活の大部分も、そういうものだと思います。
勝者になるためには、秘訣がなければなりません。内的には、勝つという信念と、目標に向かう不変の心情をもたなければならず、外的には、競技をするのに簡便にすることです。競技場に行く人は、できれば簡単で、単純でなければなりません。自分の心の方向に、自分の体がいつでも動いてくれる準備ができていなければなりません。ですから、鍛練が必要なのです。
銃所持のための問題集を見ていたら、同じ趣旨のものがありました。
徹底した操作の練習を行い、心に余裕をもって銃を取り扱えるようになることが大切である。(※基準問題参考29頁第12問)
猟銃や空気銃を所持する人は、銃を取り扱うときだけではなく、日常生活のあらゆる場面で細心の注意を払う習慣を身につけることで、事故を未然に防ぐことができる。(同28頁第9問)
当然ながら、銃を所持している二代王の考えと似ています。
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