群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

明るい信仰生活のために 神様に集中する

5月24日亨進様の韓国語礼拝から引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)


私に集中しない

本当に悔い改めたときに人は、明るくならなければなりません。なぜか?私に集中しないから!神様の驚くべき愛と神様の犠牲!神様の前に感謝すること!神様の一万の十字架の路程を通して死んだ者を生かす慈悲!賛美したい内容。賛美したい私。山の上から谷まで、私たちの歌が響き、天から列邦(地上の国々)まで私たちの賛美が満ち溢れます。


これに対応する内容が、5月27日国進ニムの質疑応答(その1)にあります。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)


惨めな自分

絶えず嫉妬の思いは生じます。自分自身の向上に目を向けないからです。苦労して、個人としての自己を見ようとしないからです。つねに自分を人と比較する。
そう、根っこに他人への嫉妬があるのです。出て行って自分で人生を切り開こうとしない。
惨めな自分の中に自分のアイデンティティを見つけようとする。結局それは何ですか?
その自己中心の塊は?偶像崇拝です。
社会主義の基礎は、偶像崇拝なのです。犠牲者である自分を崇拝しているのです。


さらに思い出すのは、5月9日「王の報告」です。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)


負ける戦い

韓国のために祈ります。

特に勇気を持って戦ったサンクチュアリの兄弟姉妹のために。彼らの闘いは・・戦いはいつも勝てるとは限りません。負ける戦いもあるでしょう。だからその戦いが不名誉だということはないのです。


そして、これは5月30日の当ブログとも関係します。


批判

「トランプ」「キリスト教」「武器所持」、すべて批判を覚悟しなければなりません。

しかし、これらが既に歓迎されているのなら、私達が戦う必要はありません。


「惨めな自分」「負ける戦い」「批判」、どれも暗くなり得る内容です。
それを転換するのは、「私に集中しない」「神様に集中する」ことです。


このような「自己否定」については、昨年9月4日の当ブログを思い出しました。


ために生きる

御父様は神様のため、亨進様は御父様のため、妍雅様は亨進様のため、「自己否定」が可能になりました。

「ために生きる」ことは、私達皆の「自由と責任」です。


2012年出版の亨進様説教集の第5巻123頁の御言葉も思い出しました。


その過程にある美しく貴重な意味

多くの人々が人生の目標のみを考え、その過程にある美しく貴重な意味を発見できません。

(中略)

人生で出遭う様々な挑戦と冒険を、神様が下さった贈り物と思いながら楽しまなければなりません。


そして、昨年2月19日の当ブログで紹介した「冬の愛」の御言葉も思い出します。


御父様に合わせなければならない

神様の愛は、冷たい時もあり、答えて下さらない時もある。

そのような「冬」を愛せなければ、御父様を愛せない。

御父様の愛は永遠不変であり、春夏秋冬がある。

自分の願いを中心にするのではなく、御父様に合わせなければならない。

最も厳しい時に、もっと深く入ることによって、美を見い出せる。

誰も見ることができない、冬の夜空の星を見るし、火のぬくもりが天国になる。


これらの御言葉によって、何とか自分も「明るくならなければ」と思います。



(お問い合わせ先:メール sanctuary.saitama@gmail.com
         電話番号 堀勇一070-6670-5334 堀久子070-6637-7424 )
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