明るい信仰生活のために 神様に集中する
5月24日亨進様の韓国語礼拝から引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
私に集中しない
本当に悔い改めたときに人は、明るくならなければなりません。なぜか?私に集中しないから!神様の驚くべき愛と神様の犠牲!神様の前に感謝すること!神様の一万の十字架の路程を通して死んだ者を生かす慈悲!賛美したい内容。賛美したい私。山の上から谷まで、私たちの歌が響き、天から列邦(地上の国々)まで私たちの賛美が満ち溢れます。
これに対応する内容が、5月27日国進ニムの質疑応答(その1)にあります。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
惨めな自分
絶えず嫉妬の思いは生じます。自分自身の向上に目を向けないからです。苦労して、個人としての自己を見ようとしないからです。つねに自分を人と比較する。
そう、根っこに他人への嫉妬があるのです。出て行って自分で人生を切り開こうとしない。
惨めな自分の中に自分のアイデンティティを見つけようとする。結局それは何ですか?
その自己中心の塊は?偶像崇拝です。
社会主義の基礎は、偶像崇拝なのです。犠牲者である自分を崇拝しているのです。
さらに思い出すのは、5月9日「王の報告」です。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
負ける戦い
韓国のために祈ります。
特に勇気を持って戦ったサンクチュアリの兄弟姉妹のために。彼らの闘いは・・戦いはいつも勝てるとは限りません。負ける戦いもあるでしょう。だからその戦いが不名誉だということはないのです。
そして、これは5月30日の当ブログとも関係します。
批判
「トランプ」「キリスト教」「武器所持」、すべて批判を覚悟しなければなりません。
しかし、これらが既に歓迎されているのなら、私達が戦う必要はありません。
「惨めな自分」「負ける戦い」「批判」、どれも暗くなり得る内容です。
それを転換するのは、「私に集中しない」「神様に集中する」ことです。
このような「自己否定」については、昨年9月4日の当ブログを思い出しました。
ために生きる
御父様は神様のため、亨進様は御父様のため、妍雅様は亨進様のため、「自己否定」が可能になりました。
「ために生きる」ことは、私達皆の「自由と責任」です。
2012年出版の亨進様説教集の第5巻123頁の御言葉も思い出しました。
その過程にある美しく貴重な意味
多くの人々が人生の目標のみを考え、その過程にある美しく貴重な意味を発見できません。
(中略)
人生で出遭う様々な挑戦と冒険を、神様が下さった贈り物と思いながら楽しまなければなりません。
そして、昨年2月19日の当ブログで紹介した「冬の愛」の御言葉も思い出します。
御父様に合わせなければならない
神様の愛は、冷たい時もあり、答えて下さらない時もある。
そのような「冬」を愛せなければ、御父様を愛せない。
御父様の愛は永遠不変であり、春夏秋冬がある。
自分の願いを中心にするのではなく、御父様に合わせなければならない。
最も厳しい時に、もっと深く入ることによって、美を見い出せる。
誰も見ることができない、冬の夜空の星を見るし、火のぬくもりが天国になる。
これらの御言葉によって、何とか自分も「明るくならなければ」と思います。
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