「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」を思い出す 亨進様の御言葉 ヨシュア記
御父様の御言葉のキーワードは、「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」ではないでしょうか?
亨進様の御言葉のキーワードは、言うまでもなく「自由と責任」だと思います。
表面的には正反対のような両者は、性相と形状、縦と横のような関係だと思います。
しかし、最近では忘れがちだった「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」を思い出したのは、1月8日の亨進様説教です。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
別に死んでもかまわない
こうして姜夫人は韓国を離れアメリカにやって来ました。医者は18時間のフライトは高齢者には危険すぎると言いました。それに対して姜夫人は「別に死んでもかまわない。私は行かなければならない」といいました。
上記を読んで、理屈抜きに、感動しました。
それに対して、理屈で考えさせられたのは、下記、1月12日「王の報告」です。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
それでも、神様を讃えるでしょう
いちじくの木は花咲かず、ぶどうの木は実らず、家畜の群れたちが、子供を生まなくなったとしても、彼はそれでも、神様を讃えるでしょう。彼が褒め称えることは簡単なことではないかもしれません、彼はすべてが失敗し期待どうりにいかなかったことをみてきたにも関らず、、しかし、彼は神様を讃えるでしょう。ハバククはイチジクの木からイチジクの実を得ることは出来ず、かれは、家畜たちを生産的に養うことが出来ず、しかし、彼は神様に対して自身の応答を成す事ができました。彼は神様を讃えることを選んだのです。
逆境の時に「神様を讃える」ことは、御言葉では繰り返し学んでいます。
しかし、実践は難しいことなので、いつも考えさせられます。
そのタイミングで、ヨシュア記の聖句と出会いました。
あなたがたの罪、あなたがたのとがを、ゆるされない
しかし、ヨシュアは民に言った、「あなたがたは主に仕えることはできないであろう。主は聖なる神であり、ねたむ神であって、あなたがたの罪、あなたがたのとがを、ゆるされないからである。
もしあなたがたが主を捨てて、異なる神々に仕えるならば、あなたがたにさいわいを下されたのちにも、ひるがえってあなたがたに災をくだし、あなたがたを滅ぼしつくされるであろう」。
民はヨシュアに言った、「いいえ、われわれは主に仕えます」。
そこでヨシュアは民に言った、「あなたがたは主を選んで、主に仕えると言った。あなたがたみずからその証人である」。彼らは言った、「われわれは証人です」。
ヨシュアはまた言った、「それならば、あなたがたのうちにある、異なる神々を除き去り、イスラエルの神、主に、心を傾けなさい」。
(ヨシュア記/ 24章 19節~23節)
自分には「罪」「とが」が無いとは言えません。
神様以外の「異なる欲望」が無いとは言えません。
それを悟れば、逆境の時に「神様を讃える」という、「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」が可能だと思います。
「理屈抜きに」可能になるまで、こうして「理屈で考え」続けています。
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