「柔和な人」 モーセの実像 御父様との比較 「勝利の秘訣」
旧約聖書から引用します。
モーセはクシの女をめとっていたが、そのクシの女をめとったゆえをもって、ミリアムとアロンはモーセを非難した。
彼らは言った、「主はただモーセによって語られるのか。われわれによっても語られるのではないのか」。主はこれを聞かれた。
モーセはその人となり柔和なこと、地上のすべての人にまさっていた。
そこで、主は突然モーセとアロン、およびミリアムにむかって「あなたがた三人、会見の幕屋に出てきなさい」と言われたので、彼ら三人は出てきたが、
主は雲の柱のうちにあって下り、幕屋の入口に立って、アロンとミリアムを呼ばれた。彼らふたりが進み出ると、
彼らに言われた、「あなたがたは、いま、わたしの言葉を聞きなさい。あなたがたのうちに、もし、預言者があるならば、主なるわたしは幻をもって、これにわたしを知らせ、また夢をもって、これと語るであろう。
しかし、わたしのしもべモーセとは、そうではない。彼はわたしの全家に忠信なる者である。
彼とは、わたしは口ずから語り、明らかに言って、なぞを使わない。彼はまた主の形を見るのである。なぜ、あなたがたはわたしのしもべモーセを恐れず非難するのか」。
(民数記/ 12章 01節~08節)
神様はモーセを愛しました。
「世界経典」641頁から御父様の御言葉を引用します。
皆さんには、モーセが血気盛んな人に見えるかも知れませんが、事実はそうではありません。
エジプト人とイスラエル人が争うのを見てエジプト人を葬り去ったモーセの義憤心は、その瞬間に衝撃を受けて生じたものではなかったのです。
その光景を見たとき、モーセは40年間天に向かって悲しい心で民族のために訴えた内的悲しみの心情が爆発したのです。
神様は、モーセに同情することができました。
史吉子氏の「原理に関するみ言の証」328頁から引用します。
パロ王が死んだら彼には息子がいなかったので、モーセがその次の王になるのです。
モーセがパロ王になれば、いくらでもイスラエル民族を助けてあげることができたそうです。
(中略)
ところがモーセの血気のせいでそれが成されなかったそうです。
御父様は、この点をとても残念に思われます。
モーセは、メシヤではないで、仕方がなかったと思います。
続きを引用します。
お父様は、モーセの血気に対して語られながら、「私はあなたたちと同じ人間だが、あなたたちと違う点が二つある。
一つは自分を中心とした欲を克服したことであり、もう一つは自分を中心とした血気を克服したことである。
この二つを完全に克服することができれば、何でもやり遂げることができる」と言われました。
(中略)
自分を中心とした欲と血気を完全に主管することができたら、その人は何でもできるそうです。
なぜならば、自分の良心が自分を尊敬するからです。
(中略)
自分の良心から(私が)尊敬されれば、どんな場合にも自信が生まれるので、必ず勝利することができるそうです。
それでは、欲と血気を主管するには、どうしたらよいでしょうか?
一つの道は、「格闘技訓練」だと思います。
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