神学論から、夫への尊敬に至る 10月31日の質疑応答・その他から
10月31日の質疑応答から、國進様の御言葉を引用します。
皆さんは素晴らしい知性を持った神学者ですので好きなだけ自由に討論してください。
しかし、教えは非常に明確ですので、私たちは天聖経の教えを忠実に守るということです。
神様は男性的主体です。
史吉子氏の「原理に関するみ言の証」73頁に、御父様の指導を受けた劉孝元先生の日記が紹介されています。
1966年1月31日(月)
陰陽の調和で、性相と形状が形成されるのかを質問した。
先生の答えは反対だった。
性相と形状の調和で、陰陽が生じると言われた。青天の霹靂だ。
(中略)
神様に陰陽が既に成されているなら、創造がないのであるとおっしゃった。
神様は性相と形状の調和をもって陽的存在としておられるために、陰的世界の創造が必要になったとおっしゃった。
神様には本性相と本形状があり、それが男性と女性の関係をもっているので、二性性相の調和で被造物が創られる時、陽性と陰性、性相と形状が生まれたと表現してもいいかという質問に同意され、本意がわかるようになった。
原理講論46頁から引用します。(便宜上、番号を付けます。)
それでは、性相と形状の二性性相と、陽性と陰性の二性性相とは、互いにいかなる関係をもっているのだろうか。
1.本来、神の本性相と本形状は、各々本陽性と本陰性の相対的関係をもって現象化するので、神の本陽性と本陰性は、各々本性相と本形状の属性である。
2.それゆえ、陽性と陰性とは、各々性相と形状との関係と同一なる関係をもっている。したがって、陽性と陰性とは、内外、原因と結果、主体と対象、または縦と横との相対的関係をもっている。
1について、原理講義(チャート)では、「本性相は、本陽性と本陰性の相対的関係をもって現象化する」「本形状も、本陽性と本陰性の相対的関係をもって現象化する」という意味にとらえているように思います。
その結果、「本陽性と本陰性は、本性相の属性である」「本陽性と本陰性は、本形状の属性でもある」ということになります。
しかし、劉孝元先生の日記によれば、「本性相は、本陽性の位置で現象化する」「本形状は、本陰性の位置で現象化する」という意味で書かれていると思います。
その結果、「本陽性は、本性相の属性である」「本陰性は、本形状の属性である」ということになります。
そうでなければ、2の「同一なる関係」の根拠がなくなります。
また、2の「各々」は、「陽性は性相と同一なる位置」「陰性は形状と同一なる位置」という振り分けを意味していることは明らかです。
そうであれば、1の「各々」も、同じ振り分けのために使われていると推測できます。
原理本体論の79頁と80頁から引用します。
本性相と本形状は互いに垂直的であり、縦的な関係を成し、
本陽性と本陰性は水平的であり、横的な関係を成します。
陽性と陰性は、上下の主従関係ではなく、左右の平等関係です。
これは、ややフェミニズム的なような気がします。
陽性はもともと性相であり、陰性はもともと形状だと考えれば、より縦的な関係が意識されます。
質疑応答から亨進様の御言葉を引用して終わります。
神様のやり方で夫に接する方法を知っている信仰心の篤い女性は、夫を尊敬します。
なぜなら、それは夫が尊敬すべき立派な人であるという理由からだけではなく、彼女が神様に服従して、神様に喜びをもたらそうとしているからなのです。
彼女は夫のことをあまり立派だと感じていませんが、夫を尊敬しなさいという神様の戒めに従っているので、そうすることは難しくても、それによって彼女は霊的に成長できます。
そして、彼女が本当にそうすれば、自分に対する神様の愛をもっと深く理解できるようになります。なぜならそれが、本当に男性の面前に出る方法であるからです。
(お問い合わせ先:メール sanctuary.saitama@gmail.com
電話番号 堀勇一070-6670-5334 堀久子070-6637-7424 )
任命式の映像はこちら