群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

御父様を慰める

御父様の「自叙伝」141頁から143頁にかけて、少し引用させて頂きます。


「そういう私であっても、痛みがなかったわけではありません。」
「喉が締めつけられ、骨身に沁みて悲しかったことが一度や二度ではありませんでした。」
「デマによって後ろ指をさされ、弄ばれた痛みを忘れることはできません。」
「その悲しみは今も心の片隅に物寂しく残っています。」


御父様が「痛み」と「悲しみ」を表現された、印象的な部分です。
しかし、これは「人間的」なのではなく、「神様」も痛み、悲しむ「知情意」の主体であることを確認すべきところです。


ブログ「三代王権・真の御父様に帰ろう!」の「2015年9月6日説教 文亨進師 『神様の王権』 【英語説教日本語訳】 」から引用させて頂きます。


>この3年間のことで韓国と日本のメンバーは大きな「恨(ハン)」を抱えています。
>なぜなら彼らは実際にお父様を間近で見て来たからです。
>「恨」は消化することのできない痛みです。
>言い表すことの出来ない、深い所にある、自分でもその正体を掴むことのできないもので、それでいて心情的に圧倒されます。
>そして「恨」の核心は、とんでもない悲劇に襲われながらも自分ではそれをどうすることもできない所にあります。
>自分ではどうしようもないという全くの無力感です。


御母様の裏切りに対して、霊界の御父様は、どうすることもできませんでした。
年若い亨進様も、どうすることもできませんでした。
何も知らない私達も、どうすることもできませんでした。


同ブログの「9月2日 ソウル聖殿 777双 鄭梅實(ジョンメシル)勧士(クォンサ) ジョン・メシル勧士ニムの報告 於)世界宣教本部」から引用します。


>夫は明け方にも慟哭し夜にも慟哭し眠りから覚めると慟哭します。
>それで、「何世帯も住んでいるのに何故そんなにうるさく慟哭するんですか?」と言うと「無念だからそうするんだ。
>真のお父様が悲愴なお姿でおられるのに、このシックたちは何も知らないでいる。
>真のお母様がなされることは正しいことではないのに、シックたちはあまりにも知らず教会長たちも何も知らずにシックたちを捕まえているから、私は無念で慟哭しているんだ」と。
>そのように時をはばからずに慟哭していました。


>私は「あぁ、私は恥ずかしくてやってられない、あなたが忠義心が強いことはわかったから、やめてください」と。
>「私が知っており家族が知っているならそれでいいじゃないですか?そんな風にしたからといってすぐに解決するでしょうか」と。
>それでも事あることに慟哭しました。


>それは恨が身に沁みているからで、お父様が夫の夢に訪ねて来られます。
>お父様が来られて子女様のことをご心配され、とても心配されているお姿を見せられ、教会に何か問題があるたびにお父様が現れて心配されたりしていました。


模範的な信仰に感動します。
私達も、そのようになりたいと思います。


同ブログの「2015年9月13日説教 文亨進師 『バビロンの謎』【英語説教日本語訳】」 から引用します。


>私達は悪に対して強く立ち上がらなければなりません。
>しかし、同時に私達はお父様を慰めなければなりません。
>このような反逆を過去3年間見てきたお父様は、とても心を痛めておられます。


>私はお父様に対して悔い改めたいのです。
>私達は最善をつくしました。私達はできる限りのことはしました。
>しかし、それがお母様がされたことの事実をなくすことはできません。

> 私はお母様の行動に対して悔い改めるのではありません。
>私は、お父様が過去3年間に何度も何度も傷つけられ、忍耐しなければならなかったことに対して悔い改めたいのです。


全知全能の神様も、心情的には、私達の慰めが必要です。
私達が必要とされることは、何という光栄なことでしょうか。
私達が痛み、悲しむことには、そのような価値があります。


(お問い合わせ先:sanctuary.saitama@gmail.com)

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